
山頂手前にある鬼ノ城ビジターセンター内、西門の模型、縮尺1/1000、これと同じ門が現在復元されています。一番上のTOPタイトル画像とこの模型を比較して御覧下さい。ピラミッドとはいかないまでも、この復元工事はかなリ大変に見えます。登る度にこの模型に近づいていく雄姿をデジカメで撮り続けています。城壁とともに鬼ノ城西門の完全復元はもうすぐの状態です。・・・ていうかついに2007年復元が完成しました。復元されたこの西門を中心に周辺の遊歩道や施設にもかなりの手が加えられ、大きな観光資源としての将来を着々と築きつつあります。鬼ノ城周辺には貴重な植物も自生し、ウォーキング・トレッキングのコースとしても素晴らしい環境です。この鬼ノ城西門からほどよいアップダウンを含む周囲約2.8kmの城壁を1周するといい汗がかけます。途中には北門・礎石住居跡・屏風折れの石垣岩展望台・東門・南門・各水門などの必見定番スポットが続きます。南に視界が開ける場所では総社市全体が一望できます。鬼ノ城西門の西側には特徴でもある敷石が整然と並んでいます。
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鬼ノ城ビジターセンターの北側に沿って続く路を歩いていくと岩屋に行くことが出来ます。古代山上仏教の地で、西門周辺に比べるとまだまだ整備が進んでいません。明るく健康的な西門周辺とは全く異質な雰囲気があります。草の生える道なき道を進んでいくと階段があります。これを登りきると岩屋寺の前にたどり着きます。さらに左側に10メートルほど歩くと巨大な鬼の差し上げ岩が目に入ります。この岩が単独で写っている画像を見るとその大きさが今ひとつ実感できませんが、岩の下に小さく見える祠でさえ大人が立ったまま入れるほどの高さがあります。鬼の差し上げ岩の右側の小道を上に登って行くと、いろいろ象徴的な名前がつけられている巨石群を見ることが出来ます。鯉岩、餅つき岩、八畳岩、屏風岩、方位岩、汐差岩等見ることが出来ます。いずれも巨大な岩で小さな子供達は大喜びで上りたがるでしょう。途中、馬頭観音像がありますが、北側山並みの見晴らしが大変良い場所です。
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岩屋の南にあるのが犬墓山です。標高は鬼ノ城西門がある鬼城山397mより47m高い山です。山頂からから鬼ノ城西門を見ることが出来ます。岩屋から犬墓山を経てビジターセンターに行くことが出来ます。また逆のコースも当然可能です。このホームページには犬墓山から岩屋へ行くコースを紹介しています。途中には、小さな神秘的な池や巨大な岩に彫刻された観音像(岩切観音)、皇の墓等があります。このコースは明確な道がないため途中にある標識を頼りに歩くことになります。道に迷わないよう気をつけてください。
おもしろいウォーキング・コースの切り口として岩屋三十三観音を巡る約6..5kmのコースもあります。
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鬼ノ城ビジターセンター内の資料館内部です。ウォーキングセンターとともに、無料で誰でも入館できます。
鬼ノ城西門復元の過程や遺跡が出土した時の様子が写真パネルやビデオでビジュアルに紹介されています。周辺を歩く前にここで学習しましょう!かなり力の入った展示物なので、じっくり見てウォーキングすれば、古代山城、鬼ノ城の遺跡、石一つにも興味を持って接する事が出来るでしょう。 |

鬼ノ城ウォーキングセンターに展示されている城壁、版築層のはぎ取りレプリカ、リアルです。
西門、城壁、角楼の復元整備の解説を配布パンフレットより抜粋してみました。
■鬼ノ城の整備■
総社市教育委員会では、平成13年度から史跡整備に着手し、平成16年度までに西門と角楼が復元されました。
古代山城としては、初めての大規模な史跡整備になります。
■角楼:角楼は城壁の大きな屈折点に築かれ、城外側に向かって凸状に突出しています。角楼の機能は城壁の死角をなくし、横矢で攻撃できるなど、西門の防御を高めるために築かれたと考えられます。こうした機能を理解して頂けるように、角楼の背面に造られた石段の最上段と、同等の高さ(約5m)までを復元しました。遊歩道を通り鬼ノ城へ来跡されると、見上げるような角楼が我々を圧倒します。
■西門:南門と並び鬼ノ城最大級の西門は、発掘データを基に復元すると、門の床から棟までの高さが約13m、城壁の基礎からは約15mにもなります。内部は3階建となり各階は1階が門扉のある石敷の通路、2階は南北に連なる城壁の連結路、3階は見張り、及び戦闘の場という役割が考えられます。その堂々たる威容は瀬戸内海を大和に向かって東進する敵船団や、総社平野に殺到するであろう敵軍を見据えるかのように、天空へとそびえ立ちます。
■城壁:版築工法を用いて築かれた城壁は、幅約7m、高さ6mにも及びます。しかし、壁面はすでに崩落しているので、復元に際しては古代の版築工法を参考に作業を行っています。版築工法とは城壁の全面に支柱を等間隔に立て、支柱の間に板を積み重ねて固定し、型枠を形成します。そして内部に土を入れ、一層ごとにつき固めて築き上げる工法を言います。こうした城壁に伴う版築の復元は、全国初の試みであり注目されます。また、古代工法のみならず、様々な復元方法を現地で施工する予定です。
・・・復元中の鬼ノ城西門の雄姿には圧倒されると思いますが、鬼ノ城周辺のウォーキング途中に、北門・東門・南門の遺跡を見れば、約1300年も前に築かれた鬼城山全体に及ぶ城壁の壮大さにまたびっくりすることでしょう。
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このホームページは、鬼ノ城の遺跡紹介だけではなく、総社市砂川公園から鬼ノ城までの約3km、自動車で登れば5-6分の道を、1時間以上かけて歩いてみたいという健康志向の強い方のために公開しています。
観光客の方を含め、多数の方は鬼ノ城まで自動車で登ります。頂上近くにある鬼ノ城駐車場に車を置き、周辺の遊歩道を少しだけ散策するというパターンです。麓の砂川公園駐車場から頂上まで延々続く3kmの坂道を歩き続けるのでかなり疲れますが、一度歩いてみれば、飾らない日本の自然風景に抱かれる心地よさに、何度も歩きたくなると思いますよ。
まず鬼ノ城ウォーキングセンターまでの3kmをウォーキングして、センターで休憩を取り、その後周辺を自由にトレッキングするというパターンがよろしいかと思います。
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・・・鬼ノ城ウォーキングセンターで配布されているパンフレットよりの抜粋ですが、ちょっとだけ歴史解説です。
■鬼ノ城とは
鬼ノ城は、標高400mの吉備高原の最南端に築かれいています。眼下には古代吉備の中心地であった総社平野や足守川流域平野を望み、吉備の津(港)も間近に見えます。
かつて、朝鮮半島に進出していた大和政権は、天智2年(663)朝鮮半島の白村江の海戦で唐・新羅連合軍に大敗しました。敵軍の侵攻に備えるため西日本の要所には大野城をはじめとする朝鮮式山城を築城したことが「日本書紀」天智4-6年(665-667)の条に記されています。一方、記録にはありませんが朝鮮式山城と同種遺跡と考えられている古代山城が16城あり、鬼ノ城もその一つと考えられています。
■鬼ノ城の構造と規模
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような山の形をしており。城壁は山頂部の8合目-9合目にかけて鉢巻き状に巡り、全周2.8kmを測ります。
城壁の基礎には一列に列石を配置し、その上に土を一層ごとに突き固めた版築土塁が築かれ、その規模は幅約7m、推定高は約6mです。要所には高い石垣を築き、その威圧感は圧倒的な迫力を持っています。このように、版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は、数m〜数十mの直線を単位とし、地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴があります。また、城壁の内外には敷石が配置されており、日本の山城では初の事例になりました。
城壁にともなう遺溝としては、谷部に6ヵ所の水門(排水機能を持つ城壁)が設けられ、西門の近くには防御効果を高めるために、角楼が築かれています。また、出入り口となる城門は4ヵ所で発見されました。
城内には食料貯蔵庫と考えられる礎石建物跡や、のろし場、溜井(水くみ場)も発見されています。
■鬼ノ城・城門
発掘調査により4ヵ所の城門が発見されました。各門の共通点はいずれも床に石が敷かれており、門扉が取り付く門礎には、「軸摺穴」、「蹴放し」、「刳形」が精巧に加工され、扉は全て内開きとなります。城門の柱は各門とも地中に柱を埋没させて建てた掘立柱です。
また、外部から入城しようとすれば、城壁の下から床までに約2〜3mの段差があり、容易に入城することができません。ただし西門のみは例外的にスロープが取り付いていました。
・・・ぜひご自身で、神秘の古代山城、鬼ノ城を体験して下さい。鬼城山周辺の素晴らしい自然環境の中に悠然と佇む復元された西門と城壁、さらに鬼ノ城にしか確認されていないという角楼は、古代の吉備国を象徴する価値ある歴史的遺跡です。ウォーキングコースでこれだけ素晴らしい環境は他にないといえるでしょう。
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これは2006年5月6日現在、鬼ノ城西門の画像です。上の2005年7月30日の画像と比べてください。
着実に復元は進んでいます。ただ赤と白色でデザインされた盾みたいな飾りは一体何なんでしょうか?古代の雰囲気は出てますが、鬼ノ城のどこにも説明が見当たりません。ご存知の方は教えてください。
・・・と書きましたが、2006年7月22日、鬼ノ城を訪れると、ビジターセンターの資料館カウンターにこの盾についての説明資料がありました。
「鬼ノ城の盾:盾は戦陣で、手に持ちまたは前方に立て、敵の矢・槍・銃丸・刀剣などを防ぐ武器で、実戦のほか儀式の装飾にも用いられました。この盾の中央に描かれた「鬼面」は、奈良県藤ノ木古墳(六世紀後半)出土の馬具(鞍)に彫られた壁邪獣をもとに、坪井清足鬼城山整備委員会委員長が図案化されたものです。まさに鬼ノ城にふさわしい図柄です。」
と言うことらしいです。木で組まれた城周りに装飾として置かれた盾は、1300年前の古代の雰囲気を強調しています。山頂までの遊歩道にも盾が置かれていましたが、メンテナンスが悪く、風雨に晒されてゴミ同然になっていました。上の画像に写っていますが、城内には当時の武具を身に着けた兵士を描いた看板みたいなものが設置されています。これはハッキリ言ってチープです。さびれた田舎の遊園地を思わせます。ビジターセンターにマネキンを設置して展示した方が良いと思います。城全体の色目が暗いため、推測で作成した派手な盾や中途半端な兵士の絵でなんとか盛り上げようとしている意図は理解できるのですが・・・
鬼ノ城の盾説明の画像
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鬼ノ城、西門に設置されている説明看板です。復元前の西門跡画像付です。
角楼と西門の間に設置されているもので、鬼ノ城西門の復元工事中の説明板です。
【西門跡】
「平成八年度から三回の発掘調査を経て、城門の上屋を除く構造と規模の概要が判明しました。
この城門は、十二本の柱で構成される堀立柱城門で、柱は床面下2.2mの地山から立っています。総間口は、12.3m、奥行は7.6〜8.3mで、中央の約4mが南西に開口し、出入口になっています。床面は、大きな石を用いた石敷とし、四段の石段を上がって城内に入ります。床面の中央やや奥寄りに、一辺最大60cmになる角柱の本柱があり、これに精巧に加工された門礎を添わせています。門礎には、コの字状のくり込み、方立、輪摺穴、鼠放し、造出しが刻まれており、塀は内開きであったことが判ります。他の柱も本柱に近い大きな角柱で、開口部の柱と柱の間は城壁であったことが、調査の結果判明しています。この城門は、全体に張り出すように作られており、城壁の幅は約10〜10.5mで、通常の城壁幅よりやや広く、高さも少し高く作られているようです。城壁の内外には通路状の敷石が敷かれており、門外の敷石の一部は麓下からの進入路の最終地点と考えられます。城門を入ったすぐ奥で、四本の柱が見つかっていますが、これは進入した敵兵を分散させるとともに、城内の様子を窺いにくくするための板堀がつくられていたものと考えられます。西門跡は、残存状況のきわめて良い城門で、その規模は日本の古代山城では傑出したものです。城門の上屋については、屋根のない実戦的な構造であったと考えられます。なお、調査後の遺構については、埋め戻して保護するのが通例ですが、公園の要望が強く、このため柱状のものを立てるとともに板壁にして、構造の保護を図りつつ公開していますが、これはあくまでも将来の本格的整備までの便宜的、暫定的なものです。平成十一年三月 岡山県総社市教育委員会」
・・・と鬼ノ城西門説明看板に記されていますが、すでに西門がほぼ完成しているので、書き換えた方が・・・
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岡山県総社市、鬼ノ城西門裏全景、下の方に人物が写っているところが西門の出入り口です。西門の完成とともに、
立ち入り禁止の立て札も取り払われ、自由に歩いて見ることができます。 |

西門に掲げられた盾、歴史的な考証はどこまで正しいのかわかりませんが、古代のイメージは出ています。
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西門裏下部、出入り口の敷石は、1,300年前の当時ものだと思います。歴史を直に感じることが出来ます。 |

西門下部通路内側から望む風景
西門出入り口手前の段差に座って撮影しました。真夏の大変暑い日でしたが、ココを風が通り抜けて行くため、涼しくてとても居心地が良いです。他の方に迷惑のかからないように注意し、隅のほうに座ってしばらく眼前の風景を見ながら休憩するのも毎度のこととなりました。総社市の全景も眼前に開けます。 |

学習展望台・説明版から望む鬼ノ城西門全景
復元された鬼ノ城西門のベストショットを見ることが出来ます。西門へ早く行きたいとの思いから、この学習展望台へ寄り道せずに行く方も多いようですが、ぜひ立ち寄って写真を1枚撮りましょう。 |