木村 儀一
No1.〜No.10 No.11〜No.20
| No.1(2007.8) 「千歳川は日本一のサケの川」 もし、誰かに「日本一のサケの川はどこですか?」と聞かれたら、私は迷わず「千歳川です」と答えます。千歳川が好きだという気持ちからだけではありません。サケとの関わりは、文化の上でも、環境から見ても、更には観光の条件としても、特筆すべき川だと思うからです。 まず、千歳川には世人やアイヌのサケに依存した生活があって、その遺跡が点在すること。また、世界に誇る日本のふ化事業は1888年に建てられた「千歳ふ化場」(蘭越)から始まった事。環境では、サケが産卵する湧き水地帯が、都市が発展すつ扇状地より上流にあって、未だに広大な産卵場と湧き水が温存されていること。上流には広大な森林地帯があり、サケの豊かな生産力を支えていること。支笏湖が調整池となっ増減水による河川環境の変化がほとんど無いこと。そして、観光の上では、千歳市は「サケを守る自然都市」と「国際空港をもつ先端の文明都市」が共存するワイドな条件の街であること。川の水が透明で、世界でも珍しい「都市の真ん中で泳ぐサケが見える」こと。などです。 8月には、産卵のために上がるサケがそろそろ千歳サケのふるさと館の川を覗く窓に姿を現す季節です。「サケは4年で帰る」といわれますが、実際は2〜6年のサケが混じっています。その比率は年によって違いますが、おおざっぱには4年が40%、3年が30数%を占めています。また、川へ上る数は沿岸の漁獲と関係しますので一定しませんが、千歳川は道内でも多いほうで30〜40万尾に達します。 「サケは生まれた川に戻ってくる」と言われますが、上がってきたサケの内その川で生まれたサケはどのくらいいるのでしょうか。1950年頃、北海道常呂川で調べました。同じ頃アメリカ・ロシアでもそれを調べました。その結果、日本は97%、アメリカ・ロシアは98%でした。その律儀さに驚くばかりです。 さて、これからサケの話を連載することになりました。書き始めに、自己紹介をします。 国のサケマスふ化場に45年勤めた後、平成10年まで「千歳サケのふるさと館」におりました。そこでお会いした方も多いと思います。今は、『サケをシンボルに豊かなふるさとを残し伝えよう』をを目標とするボランティア「北海道サーモン協会」の代表をしております。 |
| No.2(2007.9) 「断食して上がるサケ」 いよいよ千歳川にサケが上がる季節です。サケは、産卵する50〜60日前に餌を止めます。それまでは糸ほどの生殖器官が急速に成長を始めるのもそれからです。海では1日に80kmほどを移動すると言われます。カムチャッカ沖あたりから餌を採らずに帰ってくるのでしょう。そのエネルギーは蓄えた脂肪です。沿岸のサケより沖合のサケが「脂が乗って美味しい」と言うのはそのためです。 それにしても産卵を終えるまでの運動エネルギーと卵や精を成熟させるエネルギーが十分に蓄えられていなければなりません。もし環境が変化していたり、思わぬ障害があって計算外に消耗したら?実験の結果では運動優先に性成熟のエネルギーが使われました。その卵は受精はしましたが発生の途中でボツボツと死んでいきました。このように、エネルギーが不足すると産卵はしても子孫を残せませんし、多すぎては「死ぬに死ね」ません。 サケのエネルギー計算は絶妙としか良いようがありません。 |
| No.3(2007.10) 「茨の(いばら)の道」 サケは毎秒2m以上の速さで泳ぐことができます。その力で堰堤(えんてい)や滝も上っていきます。そのサケが、それほどの急流がない千歳川を、どうして上れなかったのでしょう。 かつて、上流のふ化場まで自然に上らせる実験でインディアン水車から2万尾ほどを放したことがあります。上流に到達したのは3分の1.あとの3分の1は上れずに流されてきました。他の3分の1は食卓にでも上ったのでしょう。上れない原因は、街地を通る2kmほどの川の状況にありました。そこは直線に作られ、一様に、水深は50cmほどで流れの速さは毎秒0.5mほど。毎秒2mの速さを上るサケなら何の問題もないようなのですが・・・・・。実は、ダッシュは得意でもマラソンは不得意なのです。 サケは、木陰のある淵で休み、瀬の急流を一気に上り、また淵で休んで上ります。自然の蛇行が淵と瀬を作ります。淵のない流れは、サケにとっては「茨(いばら)の道」なのでしょう。 |
| No.4(2007.11) 「オカマオス」 さけは湧き水のにじむ砂利床に穴を掘って卵を産みます。穴掘りはメスの役目。エッ!「俺もサケになりたい!」?オスも決して楽ではないんですよ!愛魚に近づくオスを追いつめ、振り向くと別のオスがナンパしている。あわてて引き返し戦うイケメン君。その甲斐あって愛する君といよいよ!という時、別のメスがスーッと並ぶ。おお愛しの2号君。!クタクタも忘れ両手に花と天にも昇る思いのイケメン君。だが神様は見ていた・・・・・かの女が精子を出していたことを! 産卵期には、体にオスは横(頭を上にして)メスは縦の縞模様が現れます。しかし、喧嘩で負けたオスは、横縞が薄れメス模様に見えてきます。かの愛しの2号君はオカマオスだったのです。 いいじゃないですか。両手に花と疑わぬイケメン君。してやったりのオカマ君。愛魚君も2匹に愛され、皆ハッピーなのですから。それにしても、自然の絶妙なDNA作戦には舌を巻くばかりです。 |
| No.5(2007.12) 「珍魚コロンボ」 20年も前のことですが、道庁の《お偉いさん》が「コロンボというサケはどの川で生まれるのですか?」と聞いてきた。「はあ?」豆鉄砲の私に「いやあ、ご存じなかったですかぁ」とチト得意気です。「ケイジと違うんですか」と聞くと「それそれ」。「どうしてコロンボ?」「研究者が現地で調べて」とのこと。ケイジがTVで騒がれ始め、ドラマ『刑事コロンボ』が流行った時代でした。「担がれましたな」と私。バツの悪そうなお偉いさんを見送りながら『まじめな若い研究員が怒られなければいいが』と思ったものでした。『ケイジ』はこの時期に羅臼付近で獲れる美味しい珍しいサケで、翌年ロシアの川で産卵すると思われています。 ところで、知る人ぞ知るの話をすれば、本来のケイジはサケではなく、夏頃に根室近くで獲れる『ギンザケ』のことです。大正時代から小樽・函館で売られていたと文献にあります。 『コロンボ』よりもっと美味で、今では私の口に入らない本当の珍魚です。 |
| No.6(2008.1) 「サケとお正月」 昔の日本のおせち料理には祝い魚が付きものでした。北の東北地方ではサケですし、西の関西地方ではブリです。その境界は岐阜県あたりで、それは文化圏の境界とほぼ一致することから、西を「ブリ圏」、北を「サケ圏」という呼び方もあります。その文化の違いは餅の形でも分かれ、北はのした切り餅、西は丸餅です。境界線は岐阜市を二分していて隣同士でも正月の料理は違うと聞いた事がありますが、審議の程はたしかめていません。 サケは東北文化の基盤だったわけですが、本州のサケは北海道の半分にも満たない量でした。その北海道も1972年までは今の十分の一ほどでしたし、今のように輸入物もありませんでしたから、とても高価でした。そんなサケは「高級お歳暮」の定番でした。その頃は、西越のブナサケも可成り高価だったはずです。若い頃、十勝川で頂いたサケを旅館にお上げしたら、その晩はお酒と二の膳つき、おまけに旅館代はただになった経験がある程です。 |
| No.7(2008.2) 「とつきとうか」 湧き水がにじみ出る砂利床に産みつけられたサケの卵は、今、殻を破ってふ化する日をじっと待っています。外がどんなに吹き荒れても、川面が寒波で凍っても、サケの卵は湧き水の一定温度に守られています。 「とつきとうか」は人間の赤ちゃんが生まれるまでの日数ですが、サケの赤ちゃんは何日でふ化するのでしょう。答えは「480度」。どうも勝手の違う単位ですが「積算温度」といい、10℃の水温で1日経つと「10度」、10日経つと「100度」と数えます。湧き水の温度は北のサハリンでは5℃、新潟付近では12℃と地域によって随分違います。北の5℃では96日、南の12℃では40日でふ化します。では、千歳派?水温は8℃、ふ化は60日で丁度2ヶ月。ついでに、目が外から見える(発眼期)は240度で1ヶ月。餌を採り始めるのが960度で4ヶ月。こんな割り切りのいい千歳は、やっぱり「サケのふるさと」という気がしてきます。 |
| No.8(2008.3) 「1月のサケは時期はずれ?」 今年、1月遅くになっても千歳川にサケが上がっていると話題になりました。例年でも千歳サケのふるさと館の窓で1月にサケの姿を見ることは珍しくありませんが、今年のように大量のサケが見えると言うのはやはり珍しいことです。何か気象の異常を連想して意味ありげに思ってしまいますが、何故なのか原因ははっきりしません。 実は、昔は千歳川のそ上盛期は年明け頃でした。今のように主群が10〜11月に上がるようになったのは50年くらいからで、昭和ひと桁の時代では10月に小さな山があり、12〜1月に大きな山がありました。更に大正時代では、秋はほとんど上がらず、12〜2月がそ上期でした。何故時期が早まったにか原因ははっきりしませんが、ふ化場で早く獲れた卵から収容するので、遅い卵の収容量が少なかったため、との考えもあります。 サケは、川だけでなく、時期も頑固に受け継いでいると考えられるからです。 |
| No.9(2008.4) 「寝る子は育つ」 川底の暗い砂利の中でふ化したサケの稚魚は、おなかに大きな袋を持っています。やがて川に出て餌を採るまで袋の中の栄養で育ちます。 この期間、ふ化場では砂利を浅く敷き静かに水を流した池に稚魚を収容します。流れには細心の注意を払います。稚魚が少しでも流れを感じると目を覚まし動きます。それを見て「やー元気だね」という人は「とんでもない。負け犬になる訓練をしているようなものです」と言いたくなります。稚魚たちは、おなかの栄養を少しでも成長のために使おうと必死です。運動に使ってしまっては川に泳ぎだすときの体が小さくなって生存競争に勝つことができません。 北海道でふ化事業が始まってから長い研究の末、サケを思うように増やす技術に到達したのは、約80年後の1972年からでした。いくつもの新しい技術の組み合わせですが、『寝る子は育つ』はその中の重要なひとつだったのです。 |
| No.10(2008.5) 「お弁当を持って旅立ち」 ゴールデンウィークは、千歳川のサケが海へ旅立つ季節です。砂利から出た稚魚は、速い流れに逆らって必死に泳ぎ、流れてくる餌を食べます。疲れて流されると川岸の暖かい流れを上り、また速い流れで泳ぎます。餌は水生昆虫や木から落ちる虫。それにしても、川底には水生昆虫が沢山いるのに、どうして流れてくる餌だけを食べるのでしょう。 海に出た稚魚は、群がる鳥や小魚に食べられ命を落とします。その割合は、川を下った稚魚の80%と考えられているほどです。助かるためには素早く逃げるしかありません。急流で餌を採っていたのは、そのためのトレーニングでもあったのです。 海岸で稚魚の餌となるプランクトンは、山から流れ出る腐葉土を栄養に大量発生します。稚魚の川下りはある日一斉に始まるのですが、雪解け水が栄養分を溶かして流れてきたのを知って下り始めるのでしょう。 お弁当を持って海に出て行くようですね。 |