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1    〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
〜このコーナーでは、NPО法人千歳ひと・まちネットの活動の一つである「地域学研究」の話題を紹介します〜
 今回は、まず「地域学」とは何かを一緒に考えてみたいと思います。
私たちは、今まで「ふるさとポケット」などの活動を通じて、「自分たちのまちは自分たちでつくる」という基本理念を学び、そのためには「自分たち住むまちをもっと良く知る」ということの大切さを実感しました。
 まちを知るには、どんな方法があるでしょうか?例えば地域に関する講座や、セミナー、講演会に参加する、研究会などの組織に入って継続的に研究する、大学や研究機関と連携して事業を実施する機関誌や会報、研究報告などの出版活動を行うなど、その展開方法は様々であり、その対象も自然や歴史、文化、産業、街並み、人、生活、交流などがあります。
 まずは、自分が興味のあるところから調べてみませんか?一人で研究するのが寂しい方、仲間と一緒に一つの事をやり遂げたい方、ぜひ千歳シコツ学研究会に入りましょう。そして、このコーナーでは私たちの研究の経過報告ができればと思っています。
 地域学は、まちづくりであり、科学であり、学問です。
次回は、千歳高校地域研究会の取り組みを紹介します。

2    〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
前回お話したように、地域を学ぶにはいろいろな方法があります。その一つの研究事例として今回は、千歳高校地域学研究スタッフによる地域学研究の取り組みをご紹介したいと思います。
 高校生42名の4年間に及ぶ研究結果が「ちけん迷鑑」という冊子にまとめられています。高校生がそれぞれの視点で様々な角度から千歳を探っています。
 たとえば、千歳の特産品の人気度を調べたり、むかしあった映画館を調べたり(ちなみに全盛期で7つの映画館があったそうですが)さらに、広報ちとせの題字の変遷や千歳の結婚と離婚についての統計を調べたり、シコロの実を採集したり、花図鑑の作成など、実にユニークで地域性に富んだものが満載されています。
 また、メンバーで市役所を訪れ、市長室や屋上なども探検したそうです。研究心の力はすごい! 
この「ちけん迷鑑」を読んで感じたのは、チャレンジ精神と行動力の大切さです。自分で決めたテーマを自分の足と目で調べ、奥深く探り、文献にまとめる。それは立派な地域学であり、独自の「千歳学」の創造につながるものです。私たちは、もっともっと自分の住むまち千歳を知るべきであり、千校生のように身近なところにいっぱいある素材を見つけていきたいと思います。
次回からは、千歳の特性について一つずつご紹介していきます。

3    〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
今回から、千歳の特性についてのお話をしたいと思います。
 千歳の水の勉強をしてみましょう。水道から出てくる水はどこも同じと思いがちですが、その水源によってかなり水質が違うようです。千歳の水源は表流川は内別川と千歳川で、これらの川から取水、浄化処理をし、各家庭に給水しています。地下水は3本の深井戸があり、合計で6000立方メートルも給水する能力があります。
 千歳の水がおいしいのは、主水源である内別川が湧水で形成された川であることから、自然にろ過された水であり、周囲に汚染源がないことから水質的に大変恵まれ、かつ安定しているのです。そして蘭越浄水場など水に関わっている所が私たちの水を安全に守っています。
 また、ナイベツ(内別・苗別)川は全長2.5キロメートルの区間に、大小あわせて60数ヶ所の湧水が集まった小河川で、千歳川の支流の一つです。昭和60年3月に環境省は水質・水量・周辺環境・親水性の観点から保全状況が良好であり、地域住民による保全活動がある事などの条件をクリアした湧水・表流川で全国から推奨された784件から100件を「名水百選」に選びました。「ナイベツ川湧水」の他、道内では京極町「ふきだし湧水」利尻富士町「甘露泉水」があります。 
 このように千歳の水は自他共に認めるおいしい水なのです。キリンビールやサントリー、アサヒ、キッコーマン
セイコーエプソンなどが立地しているのも、企業にとって良質な水が豊富にあるからです。普段当たり前に使っている水にもこれだけの理由があります。
 次回は、千歳の空港についてご紹介します。

4    〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
 今回は、千歳の特性その2「新千歳空港」のお話です。
 私たち千歳市民が世界に誇る新千歳空港は、大正15年の北海1号機の着陸が始まりであることは、あまりにも有名な話ですね。村民議会を開き情報と課題を共有し意思決定したことは、まさしく市民と行政の協働です。

 今回は現在の空港が抱えている特徴と課題について皆さんと考えてみたいと思います。
 新千歳空港は年間乗降客数が1760万人、千歳ー東京間の輸送人員は984万人で、単一路線世界一です。国内初の24時間空港として、北の国際拠点空港として、北海道の空の玄関として重要な存在となっています。
 特に、市民にとっての優位性は、時間の短縮、便利、食や物販などの質の高いサービス等などいろいろありますが、人との交流、文化芸術の交流、国際交流などのソフト面にも大きな役割を果たしています。
 今抱えている問題は、国際線が絶好調だということです。国際線が伸びていることはとても良いことですが、日本の玄関としては施設が狭隘化し、かなりの待ち時間があります。
 国際化の歴史は昭和47年2月、札幌冬季オリンピック開催により外国機が乗り入れたのを契機に、国際空港としての整備の機運が高まり、昭和56年3月、日本航空ホノルル線が定期便として初就航することになりました。昭和63年7月、3000mA滑走路が共用開始となり、出入国港として指定されています。また、平成8年B滑走路が供用開始、出入国者数は増加の一途をたどっています。8社、8路線に週30便の定期便が運航し、チャーター便も就航しています。
 このような中、より北海道らしい、より千歳らしいもてなしや受け入れが大切であり、私たち市民ができるホスピタリティを考えていく必要があります。80年前に先人達が残してくれたこの村民手作りの空港を、もっと市民の手で暖かみのある千歳らしい空港にしたいと思います。
 次回は、自衛隊についてご紹介します。

5   〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
 今回は、千歳の特性その3「自衛隊」です。
 私たちの住む千歳は、日本一の自衛隊のまちです。陸・空の駐屯地や基地があり、1万人を超える隊員を有しています。自衛隊の存在は当たり前のようになっていますが、いったいどのようにして基地のまちができたのでしょうか?少し学習してみましょう。
 突然千歳に自衛隊ができたわけではなく、その要因は、和人が移り住み開始がが始められた頃にさかのぼります。
 千歳は支笏湖や樽前山などを形成した那須火山地帯の火山活動により火山灰に覆われた不毛の地でした。当時の人々はこの地をどのように開拓するか日頃悩み続けていました。
 大正15年、当時北海道に4機しかなかった飛行機を住民の汗の結晶によって整地された着陸場に迎えたことにより一大転機が訪れたのです。この着陸機の誕生で基地のまちへの1頁がめくられたのです。
 その後、昭和9年には寄付などにより着陸場を拡張し千歳飛行場として開場式が行われました。更に、昭和10年陸軍航空攻防演習、昭和11年北海道陸軍特別大演習がこの千歳飛行場で行われ、軍事上からも注目されるようになったのです。その間、当時の千歳村は村長や渡部栄蔵が上京し、国営の飛行場設置に関する請願などを貴族院、衆議院、陸軍省に3度行っています。その甲斐もあって、昭和12年海軍航空飛行場として正式に決定されました。一寒村にすぎなかった千歳は基地の様相を深め、人口が急増し、海軍の最大拠点として昭和17年には町となり、将来を飛行場に託した先輩の志の夢は、ここに見事に実現されたのです。
 戦後は連合国米国の進駐によって整地され、その後警察予備隊千歳臨時部隊の設置、北海道空港の指定、そして米軍の撤退により陸上自衛隊第1特化団の移駐、航空自衛隊の移管、東千歳駐屯地の開設など。
 このように生まれ持った千歳の特性と先人たちの知恵と努力が結びつき、今日の発展があるのです。

次回は、国際交流についてご紹介します。

6   〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜 
 今回は千歳の国際交流について一緒に学びましょう。
 今までお話したように千歳市は開拓当時から交通の要衝であり、村民手作りの国際空港など、国際都市の条件を満たしていました。
 故・渡部茂(山三ふじや社長)が『千歳に立てば世界が見える」という名言を残していますが、私たち千歳市民には、外からのものを快く受け入れるウエルカム精神が根付いているかもしれません。
 姉妹都市交流の始まりは、昭和40年頃、当時のアラスカ航空日本支店長がアンカレジ市長から千歳か函館か帯広のいずれか北海道の都市と姉妹都市になりたいという話を受け、早速日本に戻って全国市長会から千歳に電話があり、昭和43年4月に議会で審議され、早くもその年に、ともに空港都市ということで姉妹都市提携が決議されています。翌44年に締結調印のため市長や議長、商工会議所会頭らの親善使節団が初めてアンカレジを訪問しました。本当にスピード姉妹提携でした。
 今はアンカレジ市のほか、ノルウエー王国のコングスベルク市や、中国長春市と友好親善都市として様々な交流が進められています
 また、学校レベルでも国際交流が盛んです。千歳小学校はアンカレジ市サンドレイク小と姉妹校ですし、桜木小はサイパン島のガラパン小と作品交流、東千歳中学校はカボチャ栽培で国際貢献、千歳高校は韓国の空港高校と相互交流、北陽高校はベトナム・カンボジアへ研修などの取り組みが行われています。
 この夏、千歳小学校が総勢34名で4回目のアンカレジ公式訪問を行い、私も保護者の一人として同行してきました。アラスカの大自然と白夜に驚き、心温まるもてなしに感動し、昨年受け入れた家族とも再会でき、素晴らしい体験をすることができました。
 私たち一人一人が何気なく行っている異国や異文化とのふれあい、お付き合いが、実は国同士の国際交流を支えていることを実感したのです。
 次回は、千歳の公園についてご紹介します。

7   〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
 千歳の公園について2回にわたりお話したいと思います。
 まずは、千歳の公園はどのように整備されたのでしょうか。千歳を代表する青葉公園の歴史を少し紐解いて見ましょう。千歳市史によると、当時御料木であった青葉公園を公園にしようとしたのが、渡部栄蔵氏でした。
 昭和18年頃、国に請願して公園にするためにこの原生の美林の大きさを軍隊のように一歩75センチの歩幅で計測したそうです。
 戦後、御料木は国有林となり払い下げの請願の結果、昭和28年に青葉公園を総合公園として都市計画決定を受けたのです。
 昭和27年4月15日の千歳町弘報(今は広報です)に千歳神社森林地帯の公園名称募集の入選者が発表されています。
 一等はもちろん青葉公園で、二等は鶴ヶ台公園と千歳公園、三等が緑ヶ丘公園でした。同じ広報に町章のデザインの公募結果も掲載されており、今使われている「ち」を形取った千歳市のマークが決定しています。ちなみに私の父が佳作で載っていました。また、同じ紙面に「赤痢が今年も蔓延の兆候あり」という記事が載っていて時代を感じさせます。
 青葉公園は野球場の他、陸上競技場、テニスコート、プールなどが整備されましたが、当時では斬新的な円形舞台を備えた野外音楽堂や相撲場があり、まさしく総合公園そのものでした。
 その後、子どもの遊ぶ施設がないことや、旧海軍の防空壕の穴が危険だったり、公園内を大ダンプが走っていたり、そんな問題もあり、今のような形で整備されました。計画の中には小動物公園や食堂、休憩所も設けることになっていますが、どうなったのでしょうか。
 この青葉公園に代表されるように、私たちの千歳は多くの緑に囲まれたまちと言えます。市民一人当たりの公園面積は44.87uで全道34市中第7位で、国や道の平均、建設省の基準を大きく上回っています。もっともっと私たちの生活の中に緑を感じられるような取り組みや事業が必要だと思います。
 次回は公園パートUです。

8   〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
 前回に続いて千歳の公園についてです。
 千歳は道内でも有数の緑の多いまちです。特に公園が多く、実に21ヶ所もの公園があります。一口に公園といってもいくつかの種類に区分されます。
 一番身近な存在なのが「街区公園」で市内に148ヶ所あり、面積が0.25haが標準です。次に大きいのが主に近隣に住んでいる人を対象にした「近隣公園」で16ヶ所あり、しゅくぷ公園やつばさ公園、勇舞公園などがそうです。面積が4ha以上の規模が「地区公園」で、向陽台公園、勇舞すこやか、遺跡公園などです。そして「総合公園」が青葉公園で、「運動公園」が青空公園です。他に里美ターザンや林東公園、北陽あずさ、などは都市緑地と呼ばれています。
 公園の総称には、いろんなものがあります。おもしろいのが向陽台の動物シリーズ。若草ゴリラ公園をはじめ、ゾウ、パンダ、キリン、ライオン、コアラ、ラクダ、ペンギンなど。根志越地区
は虫シリーズ。清流クワガタ公園、コオロギ、カタツムリ、幸福セミ公園、ミツバチ、ホタルなどです。向陽台の造成が始まるまでは、ほとんどの公園には、町名に1号、2号を付けた名前でしたが、今は名称を見ただけでも楽しそうなものが多いです。また、メムシ公園のスケートボード場や、しゅくぷ公園の湧き水、アンカレジパークのパークゴルフ、ハヤブサ公園の帆船、太陽公園の滑り台などゆにーくなものがあります。
 あなたの好きな公園はどこですか。それぞれお気に入りや、子どもの頃遊んだなつかしい公園があると思います。私は、よく遊んだ消防署の横にある怪獣公園が好きです。実はこの公園はグリーンベルトの一部でメロディ広場という名前でした。だけど絶対、私たちの間では怪獣公園でした。きっと子どもたちは自分たちだけの呼び名を付けて、毎日愛の鐘まで元気に公園で遊んでいるのでしょう。時間のある日に、ふと近くの公園に行って見ませんか。公園は決して子ども達だけのものではないのですから・・・・
 次回は、千歳の川がテーマです。

9    〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
 今回は、千歳の川について勉強してみましょう。
 千歳は緑と共に水も大変豊かなまちです。その最大の要因は、支笏湖です。
 皆さんご存知のように、支笏湖は周囲40km、最大深度360mを超す「マユ型」のカルデラ湖で、透明度が高く日本最北の不凍湖として知られています。
 この湖から、ただ一つ流れ出る清冽な千歳川は、千歳の市街地を貫流し日本海へと流れるサケ遡上母川です。また、山岳地帯からの雪解け水はしこつに湖へ流れ込み、その伏流水は、千歳川に注ぐ内別川源流で湧水となって現れます。この湧水は環境省の名水百選で知られる「ナイベツ川湧水」として有名です。
 皆さん、千歳市内にはいくつの川が流れていると思いますか。なんと、その数は57もの河川が登録されています。千歳川・剣淵川・祝梅川・ママチ川・内別川・長都川・ユカンボシ川・新ママチ川などの一級河川があります。その他、めずらしいものとしては、オルイカ川・キウス川・チプニー川・カリンバ川・メムシ川・シーケヌフチ川・ホカンカニ川など、アイヌ語の名前のついた川が多いです。
 私たちは様々な形で川を利用し、川と共に暮らしてきました。飲み水や農業・工業用水、発電、レクレーションの場などです。
 その昔千歳でも交通の拠点として川を利用していました。江戸時代末期、シコツ(千歳)川は、鮭漁のため太平洋側からわざわざ出稼ぎにくるぐらい、鮭の生産の中心としてにぎわっていました。川には、鮭の売買や運搬、運上屋、公務を行う出張役所である会所ができ、鮭の漁獲の減少による合理化に伴い、千歳川会所に統合され、千歳越えの事務も行っていたそうです。200年前、この千歳川は商業と交通の拠点だったのです。
 次回は、新春ということで、千歳の未来の可能性についてお話したいとおもいます。

10   〜千歳シ・コツ学研究会からの報告〜
 今回からはシリーズで千歳の未来について考えてみましょう。
 その前に、もう一度千歳の現状を確認したいと思います。千歳にはさまざまな特性があることは、もう皆さんはご存知ですね。
 今から約10年前に、千歳らしい生涯学習の方策作りのため、市民12名による「千歳学びすと委員会」が結成されました。市民が主体的に行った調査研究や実践活動はまさしく市民協働の先駆的な取り組みとなりました。
 その2年間の活動から産まれたものは、千歳市の生涯学習の基本方針のほか、昨年10回目を迎えた「ふるさとポケット」や「市民まちづくり語ろう会」、コミュニティカルテや地区別施設・人材マップ、生涯学習まちづくりセンター、地域学の研究など今につながっているものが多くあります。この「学びすと委員会」の提言書では、千歳の姿を『七色の顔があるまち』と報告しています。七色とは、@国際空港を持つ顔A3つの自衛隊を持つ顔B工業団地を持つ顔C畑作・酪農地域を持つ顔D豊かな自然を持つ顔E観光支笏湖を持つ顔F各県の人や文化を持つ顔です。このほかにも、若者のまちだけど高齢化・小子化の現象あり、人の出入りが多く、女性と高齢者活動が盛んで、団体やサークルが多く、イベント・スポーツ大会がとても多いという特徴も書かれています。
 当時この提言書は、千歳のまちを市民が独創的にユニークに分析したということで、話題になりましたが、これから千歳の未来を探るのに大きなヒントになると思います。今は七色に光化学、名水、全道一の若さを追加し、十色の顔を持つまちになっています。
 私は、千歳のまちをもっと魅力的にし、子ども達が誇りに思えるようなまちにするために、キーワードを『若い・国際教育・文化交流』にしてみました。どうですか。あなたなら何をキーワードにしますか。
 次回からは、この3つの言葉から千歳の未来のまちづくり予想図をつくってみることにしましょう。