各論目次

第10編 個人的法益に対する罪3

 さて,最後に第10編として,個人法益に対する罪の残りを勉強しましょう(といってもほとんど残っていますが)。

 第1章 生命・身体に対する罪

 まず,「生命・身体に対する罪」です。これは,人または胎児の生命・身体を侵害し,または危険にする行為を内容とする犯罪です。

 具体的には,以下のものがこれにあたります。

  ①「殺人」の罪(26章)

  ②「傷害」の罪(27章)

  ③「過失傷害」の罪(28章)

  ④「堕胎」の罪(29章)

  ⑤「遺棄」の罪(30章)

      1 人の意義

 「生命・身体に対する罪」の行為の客体は,堕胎の罪を除いて,「人」です(堕胎の客体は「胎児」です。)。

 ここでいう「人」は,生命・身体を有する必要があるので,自然人(人間)に限られます。会社など法律によって認められる「法人」は含まれないわけです。

      2 人の始期

「胎児」と「人」の区別

 出生前の生命体である「胎児」は,出生によって「人」になります(通説)。

 そして,上述のとおり,胎児は堕胎の罪によって保護されるものなので,「胎児」と「人」を区別する基準が問題となります。つまり,胎児が人となる時期=「人の始期」はいつかということです。

一部露出説(大判大8・12・13,団藤・大塚・大谷・西田・前田・高橋・林・山口・佐伯など通説)

 この点については争いがありますが,刑法上は,胎児が母体から一部露出した時点をもって「人」になると解すべきです(一部露出説)。

 この時点で,母体に関係なく侵害を加えることが可能になるからです(上記大8大判)

   ※ 一部露出後に母体内に戻ったときは,「胎児」になるとする見解(大谷・前田・高橋・山口・佐伯『理論刑法学の最前線Ⅱ』)と,一度「人」となった以上は人でなくなるものではないとする見解(林)があります(もっとも,林教授も「妊娠中に子宮を切開して胎児に直接手術を行い,さらに妊娠を続けたような場合となると,難しい。」とされています。)。

   * なお,民法においては,胎児が全部露出した時点をもって出生にあたると考えられています。これは,権利能力の主体になるかどうかに関するものであって,その生命・身体を保護されるべき刑法上の人に対するものとは趣旨が異なるわけです(大塚)(刑法上,全部露出説を支持するものとして,平野・町野)。

   ※ その他の学説としては,開口陣痛の開始の時点とする出産開始説(井田),胎児が全部露出後に肺によって呼吸を開始した時点とする独立呼吸説(大場),母体から分離したとしても独立して生存可能かという基準でとらえる独立生存可能性説(伊東)があります(なお,独立生存可能性説は人の始期を「出生」に求めること自体を変更するものです。)。

   ※ ところで,近時,胎児が生命を保ったまま母体外に排出された場合において,独立して生存する可能性がないときは(妊娠満22週未満が基準となります(母体保護法,厚生事務次官通達参照)。),「人」にあたらないとする見解が主張されています(町野(小暮ほか)『刑法講義各論』・前田・林)。

     しかし,この見解については,「刑法で保護される人の生命はその質を問わないという前提を捨てない限り,この立場には疑問がある。」(中森),「その子を刺殺したというとき,まったくの不可罰になるが,それが妥当な結論であるかどうかには疑問があろう。」(井田)といった批判が妥当します。

     本HPでは,生育可能性がなくても,生命機能を有している以上は,「人」にあたるとする通説的見解を支持しておきます(大谷・高橋・山口・佐伯,大判明43・5・12参照)。

     この点は,とくに堕胎罪との関係で問題となりますので,そちらで触れる予定です。

      3 人の終期

「人」と「死体」の区別

 他方,人の終期は死亡です。「人」は死亡によって生命を失い,その身体も「死体」となります。

 それゆえ,人の終期をどの時点とするかは,殺人・傷害など「生命・身体に対する罪」と,死体を客体とする「死体損壊等の罪」との分水嶺ということにもなるわけです。

   ※ ただし,例外として,死体に対する攻撃も,具体的状況上,客観的に人の生命に対する危険性を含むものであるときは,殺人未遂が認められる余地があるとされます(広島高判昭36・7・10,大塚参照)。この点は,総論の「不能犯」の論点で勉強しましょう。

A.三徴候説(総合判定説・心臓死説,大塚・藤木・大谷・國田・前田・高橋など従来の通説)

 人の死亡時期について,従来の通説的見解は,①呼吸の停止②脈拍の停止③瞳孔反射機能の停止の三点により総合的に判定する三徴候説を採ってきました。

 たとえば,大谷教授は,死は社会的意味を有するから社会通念として認められるものでなければならないという観点から,社会通念上脳死説が承認されているとするのは現時点では時期尚早であるとして,本説が妥当であるとされています。

 前田教授も,脳死状態の人の生命を刑法的に保護する必要性はなお残されているとして,「脳死状態で人工呼吸器をつけて寝ていた者の胸をナイフで刺し心臓の機能を停止させた行為」を死体損壊罪で処断することはできないとされています。

B.脳死説(団藤・平野・町野・林・山口・佐久間・井田・佐伯など近時の有力説)

 これに対して,近年,人工呼吸器等によって,脳の機能が失われても心臓を動かしつづけることが可能となったことなどを背景に,脳幹を含む全能の機能が不可逆的に停止した時点を人の死とする脳死説が支持を増やしています。

 たとえば,井田教授は,人間は精神と身体という2つの要素からなり,これらの本質的部分がともに不可逆的に失われれば,もはや人としての法的保護に値しないとし,これは脳という器官が不可逆的に機能を停止することと同一視できるなどとして,本説を支持されています。

   * 厳密には,脳死説にもバリエーションがあり,上記は「全脳死説」といわれるものです(斉藤誠二『特別講義刑法』参照)。ただ,今日では,一般に「脳死」とは「全脳死」をさしているとみてよいのだろうと思われます(井田参照)(後掲の臓器移植法もこの基準を採っています。)。それゆえ,大脳死の状態となっても,脳幹の呼吸中枢等の生命維持機能が継続している場合には,いわゆる植物状態であって,脳死ではないということになります(同前)。

臓器移植法

 なお,脳死した者からの臓器の摘出等に関しては,「臓器の移植に関する法律」(臓器移植法)6条が,以下のように規定しています。

 1項 医師は,次の各号のいずれかに該当する場合には,移植術に使用されるための臓器を,死体脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

   1号 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって,

     その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

   2号 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって,

     遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

 2項 前項に規定する「脳死した者の身体」とは,脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

 3項 臓器の摘出に係る前項の判定は,次の各号のいずれかに該当する場合に限り,行うことができる。

   1号 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり,かつ,当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって,

     その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

   2号 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり,

     かつ,当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって,

     その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。

       <以下略>

 同法の理解については,意見がわかれています。

 多数説は,A.本法は,心臓死を前提としつつ,臓器移植の場合に限って,脳死を人の死と認めたものであると評価しています(相対的脳死説,西田・前田・高橋)。つまり,人の死一般については三徴候説によるが,臓器移植のために脳死を死とすることを選択しうるようにしたものであるとみるわけです。

 他方,従前より,B.同法は,脳死説を前提として,臓器摘出の要件・手続等を定めたものにすぎないとする評価も有力ですし(町野),とくに平成21年改正で,家族の承諾によっても臓器移植・脳死判定をなしうることとされたことから(同法6条1項2号・3項2号),脳死が人の死と認められたとする見方もあります(中森,なお山口)。

   ※ なお,C.同法は,三徴候説(心臓死)を前提として,違法性阻却を認めたものであるとする理解もあります。ただ,これを主張された斎藤教授は,「家族同意」の規定を盛り込めば脳死説を採用したものと受け止められることになろうとされているので,上記のように改正された現在では,B説を採られるのかもしれません。

     いずれの見方によっても,本法にそって摘出されるかぎり,「法令による行為」(35条)として違法性阻却が認められることになるので(斎藤),これらの理解の相違は,前提として,摘出行為が死体損壊罪と殺人罪のいずれの構成要件に該当するのかというところにあるといえるでしょう。

 

                                                                         殺人の罪