各論目次

  第5節 遺棄の罪(217条-219条)

     1 総 説

      (1) 意 義

犯罪類型

 遺棄の罪は,扶助を必要とする者を危険な場所に棄てるなどして保護されない状態に置くことを内容とする犯罪です。

 以下の類型が規定されています。

  ① 遺棄罪(217条) 

  ② 保護責任者遺棄罪・不保護罪(218条) 

  ③ 遺棄等致死傷罪(219条) 

保護法益

 遺棄の罪の保護法益は,生命・身体の安全と考えられます(大判大4・5・21,団藤・藤木・曽根・中森・斎藤・佐久間・松宮など通説)。

   * 刑法が遺棄行為とともに「生存に必要な保護をしなかった」行為を処罰対象としていることなどから,「生命」の安全に限定すべきであるとする見解もあります(平野・大谷・西田・高橋・林・伊東・山口)。しかし,本罪が傷害の罪の後に置かれていることからすれば,「身体」の安全も含んでいると解するのが妥当でしょう

      ※ 通説に立ちつつ,「重大な傷害の危険」を生じる場合に限定するという見解も有力です(川端・山中・前田・井田・佐伯『法教No.359』)。

     なお,以前は,個人法益に対する罪のほか,社会法益(風俗)に対する罪としての性格も含んでいるとする見解も有力でした(滝川・大塚)。

      (2) 遺棄の概念 

 217条(遺棄罪) :老年等のために扶助を必要とする者を遺棄した[最高刑懲役1年]

 218条前段(保護責任者遺棄罪):老年者等を保護する責任のある者が,これらの者を遺棄した[最高刑懲役5年]

 218条後段(不保護罪):老年者等を保護する責任のある者が,その生存に必要な保護をしなかった[同上]

   * 遺棄罪(217条)については,わかりやすいように「単純遺棄罪」ということもあります。

 遺棄の罪においては,上記のように,217条・218条前段では「遺棄」すること218条後段では「保護をしな」いこと(=不保護)が,構成要件的行為となっています。

 そこで,まず,①「遺棄」と「不保護」がどのように区別されるか②217条の「遺棄」と218条前段の「遺棄」の意義をどう考えるか(同じか違うか)を整理しておきたいと思います。

       ア 「遺棄」と「不保護」

 まず,217条・218条前段の「遺棄」と,218条後段の「不保護」の区別ですが,これは「場所的離隔の存否」によると考えられます(判例・通説)。

 つまり,保護者との「場所的離隔を生じさせることにより要扶助者を保護のない状態におくこと」が「遺棄」であり,「場所的離隔によらずに要扶助者を保護しないこと」が「不保護」であるということになります。

 場所的離隔を生じさせる行為は,不作為の形態であったとしても,単に「保護しな」いことより,積極的に棄てる行為に近似するものとして,「遺棄」にあたるというべきだからです(井田参照,なお曽根『重要問題』も参照)。

   * 反対説(後掲C説)は,作為形態によるものを「遺棄」,不作為形態によるものを「不保護」とします。

     たとえば,親が幼子について

      ①山に棄てに行く場合(離隔あり/作為)

      ②旅行に出て家に放置する場合(離隔あり/不作為)

      ③家にいるのに十分な食事を与えない場合(離隔なし/不作為)

    のうち,①が「遺棄」で,③が「不保護」であることは,いずれの説からも結論は一致すると思われます。

     問題は②のような形態ですが,判例・通説からは,「場所的離隔」を生じさせる以上は,「棄てる行為」というべきであって,「遺棄」の方にあたることになります。

          → あり → 遺  棄(217条・218条前段) 

 場所的離隔

          → なし → 不保護(218条後段)  

       イ 217条「遺棄」と218条前段「遺棄」

 次に,217条の「遺棄」と,218条前段の「遺棄」の意義が問題となります。

A.判例・通説(牧野・滝川・団藤・中山・藤木・川端)

 従来の通説は,ドイツ刑法を参考に,「遺棄」を,

 作為により客体を従来の場所から危険な場所に移動させること(=移置)

 ②客体を危険な状態に放置して立ち去るという不作為形態によるもの(=置去り)

に区別します。

   * たとえば,①幼児を家から連れ出して山に棄てるような場合が「移置」,②親が旅行に出て幼児を家に放置するような場合が「置去り」にあたるとされます。

 そして,①作為である「移置」については,誰にでも犯しうるものとして,217条と218条前段のいずれにも含まれると考えます。

 他方,②不作為である「置去り」が遺棄罪を構成するには行為者に「作為義務」が必要であるところ,この作為義務は「保護責任」(保護義務)と同視しうるので,これが規定されている218条においてのみ可罰的であると考えます。

 それゆえ,217条の「遺棄」は「移置」のみを意味し,218条前段の「遺棄」は「移置」に加えて「置去り」を含むものとされるわけです。

 217条「遺棄」 → 移置

 218条「遺棄」 → 移置 + 置去り

   * 判例も,置去りにつき保護責任者遺棄罪(218条前段)を認め(最判昭34・7・24),他方で,置去りを(単純)遺棄罪(217条)で処罰した例がないことから,同様の立場をとるものと理解されています(鎮目『アクチュアル』)。

 しかし,この見解については,「移置」と「置去り」の区別は,「作為」と「不作為」の区別に対応しないのではないかとの疑問があります。

 つまり,(ア)要扶助者が立ち去るのに任せる行為(たとえば,幼児が山に入っていくのを親が放置するような場合)は,「不作為」ですが,置去りとはいいがたいでしょう。

 他方で,(イ)要扶助者が接近するのを妨害する行為(たとえば,吊り橋を落として幼児が親に近寄れないようにする場合)は,「作為」といえますが,移置ではありません。

A'.修正説(植松・香川・大塚・中森・斎藤・佐久間・井田)

 そこで,基本的には通説と同様に考えつつ,これを補正する見解が妥当であると思われます。

 つまり,通説が,①作為の形態については,217条・218条前段のいずれにも含まれるが,②不作為の形態については,「作為義務」が必要であり,これは「保護責任」がある場合に重なるので,218条前段においてのみ可罰的であるとする考え方は支持できます。

 ただし,前述のように,必ずしも「作為=移置」・「不作為=置去り」という対応関係は認められません。

 そこで,「移置」や「置去り」という形態にとらわれることなく,端的に217条の「遺棄」については「作為」が対象となり,218条前段の「遺棄」は「作為」に加えて「不作為」も対象になると解するのが妥当です。

 217条「遺棄」 → 作為

 218条「遺棄」 → 作為 + 不作為

   * 判例は,本説に立っていると考えることも可能です(大コメ)。

近時の有力説からの批判

 もっとも,通説(A説)にせよ修正説(A'説)にせよ,217条の「遺棄」と218条前段の「遺棄」の解釈が異なることを肯定するものです。

 そこで,これを「遺棄」という文言の統一的解釈を損なうと批判して,両条で同義に解すべきであるとする見解も有力になっています。

 次のB説・C説がそうですが,それぞれの考え方はかなり異なるものです(斎藤参照)。

   * なお,B説・C説内においても,「移置・置去り」という言葉を使うか,「作為・不作為」というかは論者によるようですが,以下では後者で統一したいと思います。

B.有力説Ⅰ(内田・堀内・曽根・高橋・山口・佐伯,なお平野・前田)

 まず,B説は,217条の「遺棄」も,218条前段の「遺棄」も,いずれも「作為」のほか「不作為」を含むと考えます。

 つまり,(単純)遺棄罪(217条)についても,不作為犯が考えられるとするわけです。

 217条「遺棄」 → 作為 + 不作為

 218条「遺棄」 → 作為 + 不作為

   * 前述のように,通説・修正説は,作為義務と保護義務(保護責任)を同視して,不作為犯は218条前段で処罰すべきものと考えます。ところが,そうすると,本来(単純)遺棄罪の不作為犯として処罰されるべき行為が,218条で重く処罰されることとなってしまうのではないかとB説は批判するわけです。

 しかし,B説によると,不作為による場合には,(単純)遺棄罪(217条)と保護責任者遺棄罪(218条前段)を区別するために,「作為義務」と「保護義務」とを分けて考えざるをえないことになりますが,実際上それは困難といわざるをえません(この見解だと,「作為義務」違反のみであれば217条が,「保護義務」違反もあると218条前段が適用されることになります。)。

   * どのような場合に「『作為義務』はあるが『保護義務』まではない」といえるのか -換言すれば「『生命・身体の危険を防止するための作為をする義務』はあるが『生命・身体の安全を保護する義務』はない」ということになろうかと思われますが- については,B説内でも一致していないようです。

     なお,前田教授は,「理論的には217条にも不作為は考えうる」としつつ,「不作為犯の実行行為性を基礎づける作為義務を検討していくと,遺棄罪の場合には,保護義務の内容とかなり重なってしまう」,「遺棄罪の作為義務を保護義務の存在しない場合にまで拡大して,217条の不作為型の遺棄を認める必要性はない」として,「不作為による遺棄を218条の範囲に限定する判例には,合理性が認められる」とされています。

C.有力説Ⅱ(西田・林・日高・伊東,なお大谷)

 他方,C説は,217条の「遺棄」も,218条前段の「遺棄」も,いずれも「作為」のみを意味すると主張します。

 そして,「不作為」形態のものは,場所的離隔を生じさせる行為であっても,すべて218条後段の「不保護」の方にあたるとします。

 つまり,そもそも「遺棄」と「不保護」を「場所的離隔の存否」で区別することを否定して,「作為=遺棄」,「不作為=不保護」とするわけです

   ※ なお,C説内で,作為義務と保護責任を同視するか(西田・伊東),区別するか(林),見解が分かれています(鎮目『アクチュアル』参照)。
 

 217条「遺棄」 → 作為

 218条「遺棄」 → 作為 + 不作為  ※不作為はすべて「不保護」へ

  しかし,これは従来の不保護概念からあまりに離れた解釈であり(前田),先述のとおり,(不作為でも)場所的離隔を生じさせる行為は「遺棄」の一形態と考えるべきであることからすれば,支持することはできません。

      (3) 抽象的危険犯

 遺棄の罪は,要件として「遺棄した」(保護をしなかった)とだけ規定されており,具体的な危険の発生は明記されていないことから,抽象的危険犯であると考えられます(前掲大判大4・5・21,通説)。

   * たとえば「甲は,生後6か月の実子Xを小児科医院の玄関前に置いて立ち去った。」という場合,甲に保護責任者遺棄罪が成立するでしょうか。

     A.遺棄の罪を「具体的危険犯」と考える少数説からは,同罪が成立するためには,遺棄行為があるほかに,「具体的危険」が発生したことが必要とされます。それゆえ,上記Xが直ちに保護されると期待できるときには,同罪は成立しないとされます(平川,大コメ参照,なお団藤)。

     他方,B.遺棄の罪を「抽象的危険犯」と考える通説からは,従来,B1.「遺棄行為があれば,遺棄された者が直ちに必要な保護をえられたかどうかを問わず,それだけで本罪が成立する」と主張されてきました(藤木)。

     ただし,現在では,B2「遺棄」が肯定されるためには,生命・身体に危険が生じる程度の行為(ある程度の危険)が必要であるとする考えが有力です(「実務の慣行」ともされます(大コメ)。)。

     もっとも,どのような場合に抽象的危険すらないといえるかに関しては,「病院の前に目につく形で棄てた場合」をあげるもの(松宮),「他人が救助するのを見届けてから立ち去った場合」をあげるもの(川端,同旨;大谷・高橋),(病院のベッドであれば抽象的危険を発生させないが)「玄関前に置去りにする行為は,他人の救助が期待されるとしても,遺棄罪を構成する」とするもの(曽根,なお平野)など,区々のようです。

     他方で,A説においても,団藤博士は,具体的危険が否定されるには,少なくとも「他人が拾い上げるのをたしかめた上で立ち去る」ことを要求されており,両説の差異はほとんどないとの指摘もあります(西田)。

 

                                                                        遺棄罪