神 社 紹 介


名 称

本別神社

所在地

北海道中川郡本別町朝日町5−1

大祭日

9月20日

(小学生の子供お()輿(こし)が土・日でないと参加できない関係上、9月20日に近い土・日に執行しています)

平成26年は、9月20日(土)が宵宮祭(よいみやさい)、9月21日(日)が本祭の予定です。

御祭神

(あま)(てらす)(おお)()(かみ)(とよ)(うけの)(おお)(かみ)大己(おおなむ)(ちの)(かみ)(すくな)(ひこ)(なの)(かみ)(あめの)()(なか)(ぬしの)(かみ)(たか)()(むす)霊神(びのかみ)()()(むす)霊神(びのかみ)(計7柱)

交 通

道の駅ほんべつより徒歩2分

由 緒

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治30年 現社殿東北山腹に宮柱を立て、本別地方鎮護の神として(あま)(てらす)(おお)()(かみ)

(伊勢の神宮・(ない)(くう)の御祭神)をお(まつ)りする

同 34年 御本殿を造り、(とよ)(うけの)(おお)(かみ)(お稲荷(いなり)(さま))を(ぞう)()する(伊勢の神宮・()(ぐう)の御祭神)

同 44年 神社境内を定め、開拓の神である(おお)(なむ)(ちの)(かみ)(おお)(くに)(ぬしの)(かみ)の別名)と、医療やまじない

の神である(すくな)(ひこ)(なの)(かみ)(ぞう)()する(御祭神4柱となる)

同 45年 拝殿(参拝に使う(やしろ))を建てる。境内に忠魂碑が建てられる       

大正 7年 本別神社として創立許可が下りる

昭和 3年 明治45年造営の御社殿後方山すそを整地して、現在の御社殿が本建築(まさ)ぶき屋根  

で造営される

同  5年 一躍郷社に昇格

      御社殿が出来上がってから、御奉仕階段、コンクリート大鳥居、御影石狛犬1対

      本別澤石の手水鉢や手水工事、札幌軟石の石灯篭、銅板屋根木造灯篭、本御神輿

      御影石の社標などが奉納され、境内の整備も少しずつ進んだ

同 20年 7月15日 本別町空襲される。神社社殿等にも被害あり。8月15日終戦

同 25年 開拓功労者8翁をまつる。(しょう)(とく)()が境内に建立される

同 29年 現手水舎下段の地に社務所改築(98坪)

同 32年 ()(そう)()60年記念大祭斉行。5月、森林野の恵みに感謝し、その保全育成を祈って

()(かち)(おお)(やま)(じん)(じゃ)が創建される大山(おおやま)(づみの)大神(おおかみ)木花(このはな)(さく)()(ひめの)(かみ)(いわ)(なが)(ひめの)(かみ)をお(まつ)りする) 

同 49年 中村(なかむら)神社(じんじゃ)廃社に伴い、御祭神だった天地創造の神であり、牛馬畜産守護の神である

(あめの)()(なか)(ぬしの)(かみ)(たか)()(むす)(びの)(かみ)()()(むす)(びの)(かみ)(みょう)(けん)(さん)(じん))が本別神社に(ごう)()された

(御祭神7柱となる)

同 53年 (旧)中村神社の特殊神事、()(しん)()(さい)が当神社にて復活。以後、毎年11月8日に

執行されている(火の神御縁の日)

平成 5年 1月15日 釧路沖地震により、社殿や社務所、境内鳥居や石灯籠等に大被害を

被る(第2鳥居や石灯篭はほとんど倒壊し、社務所は壁が落ち外が見えた)

同  7年 社務所が参道の南側に、社務所及び参集殿として建築(御(そう)()100年記念事業)

      翌8年に建物まわりの地盤改良工事が行われる

同  9年 9月20日()(そう)()100年記念大祭を斉行、奉納行事で賑わう。社務所前の

大ハルニレを御神木と定める

 

以後、現在に至る 

 

神社内施設一覧

 

()(しゃ)殿(でん)

  

昭和3年建築以来、屋根を何度かふき替え、空襲の被害に合うなどもし、(いた)んだ部分の

修復を行い、整えられて参りました。平成22年には平成5年の釧路沖地震で割れたり

(ゆが)んだりした基礎と後背(こうはい)()()め修復作業が行われています。平成26年には築86年

を迎え、本別町の歴史を語る木造文化財にもなろうかという建物となりました。

 

()(かち)(おお)(やま)(じん)(じゃ)

昭和32年に御祭神をお(むか)えし(おお)(やま)(づみの)(おお)(かみ)(この)(はな)(さく)()(ひめの)(かみ)(いわ)(なが)(ひめの)(かみ)の3柱の神様)、お(まつ)

しております。森林野の恵みに感謝し、その保全・育成が祈られています。道東で唯一

山神(やまがみ)(さま)(まつ)る神社です(十勝大山神社設立趣意書(しゅいしょ)より(ばっすい)

 

(ちゅう)(こん)()

  

(にち)()戦争から太平洋戦争((だい)(とう)()戦争)に至るまでの国難(こくなん)(じゅん)じた方々の()(たま)

(まつ)りするために、明治45年、境内に建てられました。以後、(いた)みも進んだため

昭和53年、現在の場所に移築し、改修工事が行われ、昭和20年の本別空襲で

お亡くなりになられた方々も合わせてお(まつ)りされる事となりました。空襲のあった

7月15日10時には、毎年()(れい)(さい)がこの碑の前で行われています。

 

()(みず)(しゃ)

  

昭和9年に奉納された(ほん)(べつ)(さわ)(いし)()(みず)(ばち)が、75年以上経過して、水の流れ等で(いた)

(くず)れ始めたため、硬い()(だか)(いし)に取り替えられました。平成21年御奉納申し出あり。

同23年9月工事終了、使用開始。

 

(おお)(とり)()

昭和6年6月、開拓功労者8(おう)の1人でもある(まえ)()(きん)()(ろう)(おう)の御奉納で

コンクリート製です。昭和47年と平成19年に修復工事が御奉納されました。

表面は “洗い出し” 工法での仕上がりです。

 

()()輿(こし)殿(でん)

  

昭和39年に、大正12年会の方々が(やく)(ばら)い記念として御奉納下さった建物です。

当時、参道の左側(現在は右側)に社務所があり、玄関前の御神木そばに建てられて

いました。()(そう)()100年事業が始まった平成7年頃、とりあえず車庫側に移設、仮置き

致しました。かなり(いた)んでいましたが、有志の方々の真心ある御奉納により、神宮

(せん)(ぐう)のめでたき平成25年、大祭にむけて修復を終える事ができました。

(中に納められている()()輿(こし)は、昭和14年8月岡崎公一翁御奉納です)

 

()(しん)(ぼく)> ハルニレ(赤ダモ) 推定樹齢270年位

  

平成9年、()(そう)()100年記念の年に、御神木となりました。この頃は元気でしたが

同12年、本別の(めい)(ぼく)(じゅっ)(せん)に、隣に立っている北こぶしの木と共に選ばれた頃は木の

上部の葉つきが悪くなり、()(えだ)が出始めていました。大きな建物が近くに建設され

根が(いた)んだのが原因ではとの事で、平成16年樹木医療を(ほどこ)し、翌年、翌々年と3年に

渡り手入れをした所、110年を迎えた平成19年頃には、参道の反対側まで大枝を

伸ばし、たくさんの葉もつける程、いきおいのある状態となりました。

 

()(がい)()(たい)

以前は境内(けいだい)の別の所にあった土俵です(昭和40年建築)。相撲をとる人も少なくなり

木の柱の(ろう)(きゅう)()などもあり、検討された結果、屋根が立派なので、少し直して使える

様にしてみようという事になりました。平成19年秋、大祭の奉納行事用の()(がい)()(たい)

して柱等を一新し、現在の場所に生まれ変わりました。

(この年は()(そう)()110年を迎え、(おお)(とり)()の修復工事も御奉納されました)

 

(しゃ)()(しょ)(さん)(しゅう)殿(でん)>                 

  

<参集殿玄関>

昭和29年建設の(しゃ)()(しょ)が40年以上経ち、(いた)みや(あま)()りも多くなり、()(そう)()100年の

大祭に向けて検討していた頃、地震で大被害が出てしまい、平成7年建設・落成され

ました。

(さん)(しゅう)殿(でん)の玄関には、皆様が愛着を持ってくれていた、(きゅう)(しゃ)()(しょ)の玄関が修復されて

使われており、その他にも、あらゆる所で経費をかけずに、丈夫な建て方が工夫された

建物となっています。

(きゅう)(しゃ)()(しょ)となった建物は、平成5年の(くし)()(おき)と同6年の(ほっ)(かい)(どう)(とう)(ほう)(おき)の2回の大きな

地震のため、内・外部に多くの被害を受け、現在の(しゃ)()(しょ)に移転後、平成11年に解体

されました。

 

()(れい)殿(でん)

近年、ご子孫が途絶え、各家でお(まつ)りされて来たご先祖をどの様に対応してお守り

したら良いか分からないといった相談が増えて参りました。神社でもこの事について

検討した結果、無縁とならない様にお(まつ)りできる所が必要という事になり、()(れい)殿(でん)

出来上がりました。

平成24年4月から受け入れを開始しています。今までの(しゅう)()は問いませんが、(しん)(とう)

(まつ)りする事が前提です。詳細については直接お話を(うかが)う事になりますので、遠慮

なく御連絡下さい。   (0156−22−2038 本別神社々務所)