NPO法人環境研究所豊明





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    有機循環事業

 
有機循環フォーラム2015
「熊や鹿と共生できますか?」
■日時:2015年11月28日(土)13:30~16:30
■場所:豊明市商工会館イベントホール
   
■講師:高野 雅夫氏 名古屋大学大学院 教授
■森山 まり子氏  一般財団法人 日本熊森協会 会長
■浜島 昭二 NPO法人環境研究所豊明 理事長
 

   浜島 昭二(はまじま しょうじ)

NPO法人環境研究所豊明 理事長
豊橋技術科学大学 名誉教授、豊橋技術科学大学 国際交流センター 特任教授

有機循環都市を目指して■有機循環事業の概要・取組み
生ごみは、焼却すると二酸化炭素が排出され地球温暖化が進行し、また焼却灰の埋め立て処分場の枯渇問題なども生じてきます。このため、生ごみを新たな有機資源と位置付けし、焼却処分するのではなく堆肥に変えてもう一度大地に還す、そしてその大地から新たに生まれる自然のめぐみの恩恵を受け、豊かで安心・安全な市民生活を送ることができると考えます。
 消費型社会から循環型社会へ軸足の移行を進めるために、有機資源(生ごみ)の有効利用と可燃ごみの減量を目的とした生ごみ堆肥化事業を1999年度から着手し、「有機循環都市とよあけ」を目指しています。


豊明市の有機循環ビジョン
可燃ごみの削減   循環型社会への移行 地産地消   協働によるまちづくり 健康づくり、いきがい、農業体験による市民交流 雇用の場  高齢者や障害者のための職場 
まちへの愛着 土づくりから魅力あふれるまちづくり


■豊明市の有機循環システム
有機循環システムは単なるごみ処理事業の代替システムではないという認識の下で、プランは策定されました。市民は良好な有機資源(生ごみ)を提供し、農家や市民菜園では堆肥を活用して土づくりに取組み、そこで得られる農作物を市民が享受。生産農家と消費者の信頼関係を相互に配慮し、支えあう仕組みが形成され、循環の環ができました。

■豊明市沓掛堆肥センター
生ごみは週4回堆肥センターに搬入されています。搬入された生ごみに水分調整材(粉砕籾殻・牛糞堆肥・戻し堆肥)を混入し、1次・2次堆積場で約34ヶ月自然発酵させて完熟堆肥を生産しています。送風や切り返しを行うことにより、発酵が進みやすい状況を作っています。2013年から学校給食の調理くず及び残菜の試験的堆肥化を始めました。
Eco堆肥を優先的に利用する市民農園山田試験農園(豊明市からの委託事業)●おらが農園(当NPOの自主事業)本市も農家の高齢化と後継者不足により遊休農地が増加しています。この現状を何とかしたいと本NPOが市民農園として再生することにしました。農園は、特定農地貸付法に基づき、地権者および市と農地貸付協定を結び、所轄農業委員会の承認を得て開設しました。Eco堆肥の受け皿や、生ごみ堆肥のPRにも貢献しています。市民農園(おらが農園)は、生産の場、いきがい、交流の場となっています。また、農地の荒廃を防止し、疲弊した土壌の回復で、持続可能な農地として有効活用と保全が未来へ受け継がれます。農地は農作物の生産のみならず、多様な生物の生息環境であり、良好な住環境の条件としても貴重な緑地です。本法人は2008年から行政との協働により、遊休農地を活用する事業に取り組んで来ましたが、継続とさらなる拡大が必要です。

                

高野 雅夫 (たかの まさお) 

名古屋大学大学院環境研究科 教授 博士(理学)
さまざまな分野の専門家と協働して地下資源が枯渇した千年後でもやっていられるような、地球と社会のシステムをつくりだすための「千年持続学」を構想中。著書:高野 雅夫「人は100wで生きられる」
大和書房、
編「千年持続社会-共生・循環型社会の創造」


■中山間地の地域再生に取り組む
僕は名古屋大学環境研究科で、省水力、木質バイオマスなどの自然エネルギーの研究をしています。そういう資源は、田舎や山に豊富にあって、素晴らしいと思う一方で、地域は過疎が進み、若い人がいなくて山の管理ができない。エネルギーを利用するには、まず過疎問題をなんとかしないといけないと思い、活動しています。

里山の風景というと、まず落葉広葉樹林、コナラ、アベマキ等どんぐりのなる木、多様な植物が生える森林のある山が特徴です。人は谷戸田、谷津田といわれる、沢から出る水を有効に使い、谷筋に棚田を作って来ました。山の木は20年くらいで順々に伐採して炭焼きなどに利用しました。伐った後も切り株から芽が出てくるので、生長して来たらまた切る、と繰り返していました。萌芽更新といい、優れた自然のメカニズムを活用していました。

■里山の物質循環
里山の物質循環を炭素と窒素に分けてみると、炭素は広葉樹が大気のCO2を吸収して生長し、伐って炭や薪にする。窒素の方は、大気中の窒素を窒素固定菌が固定し、草が育つ。草は刈り取って家畜の餌に。排泄物は草と積んで堆肥にして農地に撒き、米や野菜を作っていた。この循環をみると里山は自然の生態系と人間のコミュニティが掛け算されたものです。この物質循環は自然ではなく、人間が木を伐る、草を刈るから成り立っていました。100年前は、ほとんどの人が田舎に住んでいましたが、1950年代半ば、高度経済成長にともない田舎の人口は減り、今や8割が都市に住んでいます。この急激な変化で風景が一変してしまいました。エネルギーの利用も変わり、1960年代から石油が入って来て、エネルギーの使用量がぐっと増えました。1880年頃、エネルギーの内8割だった薪や炭は、石炭や石油に置き換わり、最終的になくなりました。薪や炭を使わなくなると、木を伐る必要がなくなり、農業も化学肥料や機械を使うので、堆肥も牛も要りません。草を刈る必要がなくなり、物質循環が止まりました。

■里山の資源を活かして
豊田市足助地区の土地利用図を例にすると、1947年は谷筋に田んぼがあり、草地があり、落葉広葉樹林がありました。農地を維持するには堆肥が必要で、草を刈らないといけない。昔は草地が沢山ありました。20年に一度は伐採されるので木はあまり大きくならず、森林も明るい景観でした。それが高度成長を経ると、田んぼには機械も入らず耕作放棄地になり、草地は杉やヒノキを植林して人工林に変わってしまいました。材木は非常に値が下がってお金にならないので、放置されてしまい、外見は良さそうでも、中は暗くて草も生えていない。大雨で土砂が流れて、根がむき出しになり、豪雨が来るとそのまま崩れてしまう。竹林も道具を作るためにわざわざ植えたものだが、プラスチックに置き換わり、伐らなくなった。竹は地下茎で広がり、春タケノコだったものが夏には数メートルまで生長するので、周りの木の光を奪い、やがて竹やぶになってしまう。最近、話題の獣害が非常に激しく、地元の人に話を聞くと出てくる話題はまずこれです。柵をしない限り農作物はできません。色々な問題があり、原因も様々ありますが、一番は人口減少、少子高齢化ではないかと。若い人がいて、木を伐ったり、農地を耕作しないと問題は解決しない。

そういう状況で、里山の資源を活かして社会を作ろうと動きがあります。「すげの里」という豊田市の公共施設ですが、市民農園、炭焼き講座、そばを育て、そば打ちして食べる講座など、都市から里山の暮らしを体験するという拠点になっています。僕も参加させてもらい、自然エネルギーだけで運営できる施設にしようと取り組みました。電気は太陽光発電で自給率はほぼ100%、間伐材の薪ボイラーで給湯と床暖房を、建物の断熱などにも工夫があり、石油を使わない暖かい建物になっています。そういう動きはあるが、若い人が田舎に住まないと話は始まらない。都会で育った人が田舎へ移住して来る、そんな人がいるのかという話ですが、2014年内閣府が都市住民の農村漁村への定住願望の調査では、ある、どちらかといえばあると肯定的な答えは30%でした。一番多かった年代は20代で若い方が田舎への暮らしに関心がある、でした。田舎へ移住した人数の統計はまだなく、直接聞くしかありませんが、岐阜県の市町村の相談窓口を通じて移住が実現した人数は、2012年度に448世帯。長野県阿智村は若者定住支援センターができ、定住した人数は、4年間で105世帯208人です。

■豊田市へは、4年間で67世帯が移住
2010年くらいから、全国的に田舎への移住の動きが顕著にあります。僕は豊田市の田舎をフィールドにしていますが、こうした若い人達に出会います。ある人は、店の隣の畑で農作物を収穫し調理して出す、そういうカフェをやりたいと、豊田市にある山奥の農家の空き家を借りられた。プロパンガスは石油から作るので、そういうのは出来るだけ使いたくないと、かまどを使っている。田舎は車がないと生活できないので、天ぷら油などで走る車を使用しています。電気も照明と冷蔵庫、洗濯機、携帯の充電くらいに使用。省エネとか温暖化が問題とかではなくて、そういう暮らしがしたいからやっている。そういう人達に聞くと、「暮らしを自分達の手で、丁寧にやりたい」「お金がなくても安心して暮らせる、暮らしがしたい」この2つが主な目的です。

■都会は全てお金で買う暮らし

彼らは都会で働いていた人達ですが、まずお金を稼がないといけない。でも今は稼ぐこと自体が難しくなっていて、終身雇用、年功序列は崩壊し、お金がずっと稼げるのかと不安もある。若い人達は将来に希望が持てない、高い収入が望めないがお金がないと生活できない。こういう人達がどんどん田舎へ来ています。実際に田舎へ移住するのは大変で、まず、住む所がない。空き家は沢山あるが家主は中々貸してくれない。お金はあまり稼げないが、医療、教育にはお金がかかる。等々ハードルを越えなくてはいけない。そのためには移住したい人も、色々なスキル、コミュニケーション能力など、力をつけることです。また、周りが応援する仕組みが必要です。

■受講生で、自然エネルギー100%の家作り
僕も「住まい作り講座」というプロジェクトを始めました。受講生30名で、受講料を資材費に充て、間伐材を使って自然エネルギー100%の家を作り、出来た暁には一世帯に移住してもらう計画です。大工、建築士さんに講師をお願いして、3年かかりましたが完成しました(写真参照)。自然エネルギー100%の暮らしということで、電気はオフグリッドのソーラーシステムでバッテリーに蓄電して、照明などに使用します。ガスはなく、お風呂や台所では薪や籾殻を使います。受講者に話を聞くと、「漠然と田舎で暮らしたいと思っていたが、どこから手をつけて良いか分からないし不安もあった。素人が家をつくるという無謀なことをやりとげ、なんとかなるんじゃないかという気持ちになれた。それが一番大きなことだった」そうです。

■移住は、受け入れ側がネック
集落が受け入れる気持ちになるかといえば、普通はならない。よそ者が入って来て、かき乱されちゃ困るというのが普通の田舎ですから。でも、このままで集落の消滅が見えた時に、受け入れる気持ちになれるかが、まず一つ。そこから、空き家を家主さんと交渉するのは地元の人の役目で、町役場などでは話にならない。大変なことですが、これにかかっている。また移住する側は、ただ田舎で暮らせば良いという話だけでなく、地域の担い手、つまり、田んぼで米を作り、山の木を伐って暮らすということ。そういうつもりで入って欲しいなと思います。

■人口減少と高齢化の最先端は田舎
都市も高齢化が進み、ベッドタウンは特に深刻。けれど、田舎は若い人達が住むようになって来たので高齢化率はすでに下がり始めた地域もあります。非常に面白い状況になって来て、里山が再生して行くスタートに立てるのではないかと思います。

 

森山 まり子 (もりやま まりこ) 

一般財団法人 日本熊森協会 会長
大阪教育大学卒(物理を専攻)
2003
年春までの31年間、公立小・中学校理科教師
1997
年 実践自然保護団体 日本熊森協会を結成
1948
年 兵庫県尼崎市生まれ  西宮市在住

 

球は無数の生き物が棲む命あふれる星 
私たちが住んでいる地球は、無数の生き物が棲む命あふれる星です。私たちは酸素と水と食べ物を毎日消費して生きていますが、地球のシステムは不思議で、いくら消費してもなくなる事がありません。酸素も水も有機物も常に循環しているからです。私たちの祖先は、全ての物が自然に戻る循環型社会という素晴らしい文明を残してくれました。   

■自然の生態系は、人間の力では絶対作れない
1991
年アメリカで人工生態系、人口の自然を作ってみようと大実験を行いましたが、この実験は失敗しました。解ったことは、自然の生態系は絶対人間の力では作る事が出来ないということ。調べれば調べるほど、この地球の仕組みは人間の能力では永久にはかり知る事は不可能だと理解しました。21世紀の今も人間は自然に生かされています。

■熊が棲む豊かな森には、豊富な水がある 
数年前、大阪市の学校から、講演の依頼があり、喜んで引き受けたのですが、ここは大阪市で森もないし熊も住んでいない、私たちに何の関係もない話はやめてほしいと苦情が出ていると言われました。私はあえて頼んで話をさせて貰い、当日皆さんに「今朝お水を使われましたが、その水はどこから来ていますか」と尋ねました。「淀川」ですと答えられました。淀川の水はどこから来ていますか?「琵琶湖」です。 琵琶湖は毎日1,400万人の人が水を使っていますが琵琶湖の水は無くなりません。何故だと思いますかと聞いたら、「そんな事考えた事もない、雨水が溜まっているのでは」と言われました。琵琶湖の水は毎日1,400万人が使っても水位は下がりません。水源は琵琶湖の周りには1級河川が120本ありますが、この川を遡っていくと最終的には山からの湧水です。もし琵琶湖の周りの山がはげ山だったらこの湧水はありません。奥山で豊かな森が残っており、湧水が溢れ出ている所があるとしたら、そこには必ず熊が棲んでいます。そう言う森には熊だけではなく鳥をはじめ多くの生き物が棲んでいます。このような豊かな森が琵琶湖の周りにあるから、毎日水道を使って生活して行く事が出来ます。ほとんどの人がこの様な現実を知りませんが、私たちの祖先は知っていました。

■国策で植林された森が今、荒廃している1926年からツキノワグマがどれほど有害として駆除されたか調べてみました。1926年から拡大造林が始まりましたが、1960年頃まではまだ奥山の原生林は豊かな森でした。その後、国策で拡大造林が進行して人工林が増えましたが、1989年に入って自然林が荒廃し始めました。拡大造林が始まってから熊が山から出てくる様になり、出てきた熊は殺されるようになりました。ところが、2003年ごろから出てくる熊の数が半端ではなくなりました。国内にツキノワグマが12,000頭くらいいると言われていますが、2003年には4,340頭、2013年には3,402頭と桁違いの数の熊が出て来るようになりました。

■祖先が残した棲み分けラインを破る
私たちの祖先は標高800mから上を野生動物の棲みかとし、人間は絶対に入らないようにしていました。里山は動物が使うところを人間も使い共存していました。中国山地の原生林の中に入ってみると明るくて色々な植物があり熊もいます。この奥山の自然林は植物だけでは成り立ちません。植物・動物・微生物が全部揃わないと原生林を維持できません。戦後、棲み分けラインを破って奥山へ入り開発をし、東北6県に等しい面積の奥山原生林を杉、ヒノキだけの人工林にしてしまい、今は沢に水も流れていません。放置された人工林は杉、ヒノキと言った針葉樹です。1年中陽が入りませんから下草も生えず昆虫もいなくなり、砂漠化した森になってしまいました。そのような奥山には餌がないため、平成になって人里に野生動物が出て来るようになりました。そして、動物だけではなく人間にも被害を与えるようになりました。台風などによる人工林の倒壊、土砂崩れ、流木被害など、死者も出るような状況になっています。

■生徒たちの熱意に後押しされて兵庫県の熊60頭絶滅寸前と言う新聞記事を読み、生徒が作文を書きました。「私は新聞を読んですごく残酷だと思いました。人間がしていることは動物たちにちにとって迷惑の限界を超えています。このような事は誰が認めても私は絶対に認めません。私は人間として情けなく悲しく熊に謝らなければと思いました。熊だけではない、鳥の一羽だって、人間は間違っていると大声で叫びたい。私はこのような事を絶対に許さないと何回も思いました」。20世紀は人間の欲望に歯止めが掛からなくなり、自然を破壊し空気も水も何もかも汚染してしまい、狂ってしまった世紀だ、このような人類は滅びてしまった方が良いと思っていましたが、生徒たちはこんなことはおかしい、何とかしなければと言い出し、私は悩んでしまいました。ある男子生徒が「先生、大人たちは僕らに愛情なんかないのと違うかな、自然も資源もみんな使い果たして、僕らには何も置いとこうとしてくれないんやな」と言いました。このような生徒たちの思いを、色々な行政に行って話をし、訴えてきましたが、誰一人話を聞いてくれませんでした。当時和歌山県で猟友会のトップの方が、熊のような大型動物を絶滅させるのは間違っていると声を上げておられたので会いに行きました。その方から、「柿の木の上の方の実は、山の生き物のために残しておく」「庭に水を撒くとき、タヌキやキツネが濡れないように気を付ける」「家の中に燕が巣を作れるよう出入り口を作っておく」と、聞いて私たちがやろうとしていることは間違ってないと、自信がつきました。アメリカの「環境保護運動」という本を読み、西洋文明は自然破壊文明。このままではだめだと方向転換を決めたのは、巨大な自然保護団体だと知り、国や行政に頼っていてはダメだと気がつき、1997年日本熊森協会を立ち上げました。

■自然林再生に向けて
日本熊森協会は「動物たちに帰れる森を」「地元の人たちに安心を」をキャッチフレーズに広葉樹の植林をしてきました。植林をして2年もすると昆虫が現れウサギも出て来るし、4年経つとイノシシやシカも出て来ます。樹も自然に生えたものの方が多くなりました。熊本県の平野さんの「植えない森作り」と言う本を読んで、本当の森づくりはこれだと自然林再生に切り替えました。 

■環境省の愚かな政策
野生動物が人里へ出てくるようになったのは、「個体数が増えたから、生息地の拡大、里山放置説、人なめ説、味しめ説などだ」と言っている学者がいますが、全部間違っています。山に餌がある時は出ません。餌がない時に出て来ます。最近環境省は、動物たちが人里へ出て来るようになったのはハンターがいなくなった為だと言い出し、狩猟者養成を全国展開しています。

■人間は少し欲望を抑えて、棲み分けを
今、自然林にも変化が出て来ています。200年は経っている大きなミズナラがどんどん枯れています。地球温暖化、酸性雨、害虫と言った説がありますが、ミズナラは97%枯れていました。ブナの実の中身は空っぽでした。豊かな原生林があると中へ入って見ますが、下草がありません。そして昆虫もいません。熊は昆虫を食べますが、特に蟻(あり)を食べないとダメです。その蟻が原生林から消えています。今、原生林や人工林の湧水がどんどん減っています。このまま行くと近い将来人類は、水を失い間違いなく滅びてしまいます。人類は人間中心、経済第一、科学技術を過信して来ましたが大変間違った方向に進んでいると思います。熊に森を返しましょう、イノシシに里山を返しましょう。鹿は元々草原の動物です。下草が無くなったのは鹿のせいではありません。鹿の棲む草原を人間が開発し、鹿を奥山に追い込んでしまったのです。本来の奥山生態系がそのために崩れてしまいました。全ての生物には存在価値があります。人間は少し欲望を抑えて、もう一回棲み分ける事で、私たち人間は豊かな水を得て豊かな文明を残すことが出来ると思っています。