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日本の陰謀(3) 5項


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174  スパムメールとテロ組織(1) 2009/9/8
175  スパムメールとテロ組織(2) 2009/9/11
176  スパムメールとテロ組織(3) 2009/9/16
177  平成の江戸城無血開城 2009/9/20
178  西郷隆盛と井伊直弼 2009/9/23
179  前原誠司国土交通大臣 2009/10/1
180  クーベルタンの秘密 2009/10/1
181  明治天皇と中川昭一 2009/10/6
182  岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (1) 2009/10/9
183  岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (2) 2009/10/10
184  岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (3) 2009/10/12
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  2009/9/8  #234

日本の陰謀 (174)

スパムメールテロ組織(1)


私がスパムメールの本質に気づいたのは、全く関係のない事情からだった。いや、関係がないとは言えないが、スパムメール対策とはほとんど無関係だった。

ネットの盗聴

私は、これまで長期間盗聴を受けている。私はその事実を知っていたが、何も悪いことはしていないので相手にしてこなかった。

どうしてスパムメールが来るのか

事実を知っていたのは、周囲の者の中に露骨な挑発を試みるものがいたからだ。証拠が不十分では、文句を言った方が恥をかく。それを知った上での巧妙な挑発だった。今、振り返ると、本当によくわかる。

私は、ネットも盗聴されていることは承知していた。家族や友人とのメールは、暗号ソフトを自分で開発して使用した。国家や企業が信用できない状況では、市販のソフトは逆に危険だ。だが、そこには、どうしてもクリアできない問題が残った。

送信元と受信先の特定

たとえ暗号ソフトを使っても送信元と受信先が相手側に筒抜けでは、数多くのメールを分析することで、いつかは暗号が解読される。これをクリアする方法を常に考えていた。 たまには、ネット上の使われていない掲示板に書き込みをしたりしたが、これもアクセス解析でいつかは見破られる。 だが、ある日思いついた。受信側で多くのメール・アドレスを用意し、これに数多くのメールを送り、その中の一部に重要なメッセージを含めるというものだった。これは、盗聴する側に大きな負担となるが、完璧ではない。しかも、受信側でも、「本命」のメールと「目くらまし」のメールの識別が大変だ。

フィルタリング

この時、タイムリーにメールのフィルタリング・サービスが広まった。これは受信側にとっても便利なソフトだった。しかし、それでも、いつかは、解読される。何かもっとも安心してメールを送信できる方法はないか、長い間思案していたが、最近ようやく一つの解決策を見出した。

スパムメール

それは、何とスパム・メールだった。第三者には申し訳ないが、無意味なメールを勝手に送り付けるものだった。もちろん目くらまし用としてだ。これは、実際のところ試していない。盗聴されている状況下では危険極まりない。

気がついたらテロリスト

ある日、テレビのニュースでスパムメールの被害を聞いた時、自分の置かれた状況がテロリストと酷似していることに気がついた。外部から絶対に見破られることなく、確実に情報を伝達する手段を探していたのだ。しかも、ある意味で、国家の監視下においてだ。

この点では、テロリストも同じことを考えていることがわかった。

次項へ続く

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  2009/9/11  #235

日本の陰謀 (175)

スパムメールとテロ組織(2)


前項では、私がスパム・メールの本質に気づいた経緯を述べたが、ここでは、マネーロンダリングの戦術の特徴について述べてみる。

日本製品の世界支配

私は日本の陰謀を考えるとき、常に官僚になったつもりで真剣に日本の国益を考える。すると、ある時、突然アイデアが湧いてくる。つくづく自分も日本人だと思ってしまう。

汚れた資金に注目

日本の貿易の第一の目的は、金ではない。それは日本製品の世界支配だ。この目標を達成するのは簡単だ。外国の証券不動産を買いあさればいい。

物を売れば、必ず物を買わねばならない。

通貨の流通量に限界がある以上、売買は均衡しないと相場が混乱する。日本製品が世界中で売れれば売れるほど外国製品は国内に溢れる。だが、日本製品は世界中に溢れても、外国製品は国内に入ってこない方法はある。

秘訣は、「耐用年数」だ。

耐用年数の長い日本製品を輸出し、耐用年数の短い外国製品を輸入すれば、統計上貿易は均衡しても、社会現象としては圧倒的に日本の経済力が目立ってくる。 そして、日本政府は耐用年数の最も短い外国製品として農産物と工業原料の輸入、耐用年数が長く、社会で目立つ日本製品として、自動車やパソコンの輸出を推進した。

究極の輸入商品は、「日本に来ない物」の輸入

そこで考え付くのが、金は払っても物は日本に入れない方法だ。それは、外国での不動産や証券の購入だ。これは、輸入ではなく投資と分類されるが、外国に金を払うという現象では輸入と何も変わらない。こうして、外国投資が推進される。その結果、日本製品の輸出は、ますます増加する。

常に事実と反対をアピールする日本

ここでも学者やマスコミは、日本の貿易黒字の結果、対外投資が増加したと解説する。人間の欲望が万国共通であれあば、貿易黒字は必ず通貨相場の変動で解消されると米国は信じた。だが、ここに落し穴があった。政府が貿易をコントロールすれば、貿易黒字は簡単に演出できる。

米国は、貿易黒字の原因がダンピング非関税障壁だと考え、日本に是正をせまったが、それは的外れだった。

外国投資は貿易黒字を生む

多くの人は、貿易黒字の結果外国投資が盛んになると思っているが、現実は逆だ。外国投資を増加させると、自国通貨が安くなり、貿易黒字は自動的に拡大する。そこには、ダンピングも非関税障壁も必要ない。貿易が黒字になるから米国債を買うのではない。米国債を買うから貿易黒字になるのだ。 この点で中国も同じだと主張する人もいるだろ。だが、中国の人民元は、ほぼ米ドルにペグしており、日本とは事情が異なる。

金をばらまけば、輸出は自動的に増える。

変な話だが、金を外国にばらまく(捨てる)ことは、貿易黒字の実現の最大の近道だ。昔は、これが対外援助だった。特に、無償援助は効き目が大きい。しかし、どうしても損をしたような気持ちが残る。実際、損をしているのは国内の労働者だ。実質的に労働時間の増加や所得の減少となって現れる。だが、経済が成長過程にある間は顕在化しない。

もっと有利な方法がある。

それが、外国の協力者に金をばらまき、不動産、証券、貯金などの方法でその一定割合を保管させ、必要な時、確実に資金を還元してもらうことだ。これは、麻薬の密売を通じた金のばらまきと組み合わせることで最大の効果が得られる。

次項へ続く

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  2009/9/16  #236

日本の陰謀 (176)

スパムメールとテロ組織(3)


陰謀の目的に金儲け

ここで少し話がずれるが、為替相場について述べてみる。

為替相場のわかりやすい図表として、右の図表を見つけた。ところが、自分でも唖然としてしまった。何と、為替相場の変動要因は、「日本の陰謀」そのものではないか。

これまでの理論「日本の世界支配」では説明のつかない歴史上の事例がこれで説明がついた。日本は、金儲けのためにも陰謀を企てていた。

変動為替相場制

変動為替相場と言えば、ニクソンショックの1971年が始まりだと思う人も多いだろう。だが、元来日本人はこと金にはうるさい。江戸時代の初めには現代人顔負けの変動為替相場が成立していた。1971年の変動相場制移行もまた8月15日(ナポレオンの誕生日)だった。

後知恵と言われるかもしれないが、この変動相場制こそ諸悪の根源だ。しかし、固定相場制がいいかどうかは、よくわからない。それは、スポーツで言えば、トーナメント(勝ち抜き戦)とリーグ戦(総当たり)のどちらがいいかを議論するようなもので、それぞれ長所も短所もある。だが、八百長があると話は変わってくる。今日の為替相場は八百長のある試合のようなもので、制度ももちろん原因の一つではあるが、それだけで問題を論じることは出来ない。

テロ資金の送金

日本には江戸時代から為替制度があった。日本は、当時の世界ではもっとも優れた送金システムを築き上げていた。そして現代の手形割引に該当する取引もあったはずだ。

鎌倉時代に整備された飛脚は、安土桃山時代には、高度な通信網となった。本能寺の変に際しては、京都から秀吉のいた岡山までわずか一日で事件を知らせる密書が届けられた。

テロ資金の送金は、並為替ではなく、逆為替が使われる。並為替は、途中の人間が持ち逃げする危険が伴う。また、送金の証拠が残りやすい。これに比べて、割引方式の逆為替は、持ち逃げの可能性がなく、証拠も残りにくい。

かなり専門的な話なので、金融取引にかかわったことのない人には難しいかもしれない。もし、パチンコの経験があればパチンコの景品交換で例えればわかりやすい。

日本では、パチンコという賭博のようで賭博でない妙な遊技があるが、これこそ、日本がマネーロンダリングを実社会で国民に馴染ませようとするものだ。パチンコにいかがわしい空気が漂うのはここに原因がある。パチンコ店の経営者の7割から9割在日韓国・朝鮮人だと言われる。当然の結果だろう。

日本の法律は常に逆の表現を行う。それは、法律の真のねらいが反対だからだ。しかし、その巧妙さは芸術的とも言える。パチンコもそうだった。風営法は取り締まる法律ではなく、許可(推進)する法律だ。

パチンコの景品と麻薬

パチンコの交換用の景品を実際に使う人はいないだろう。何故なら、交換価格に比べて著しく安っぽいからだ。

麻薬取引のほとんどは、この景品と同じで、換金が目的で、実際には消費されない。実際、日本には相当量の麻薬が密輸されながら、麻薬中毒患者の話は身の回りで聞いたことがない。

(続く)

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  2009/9/20  #237

日本の陰謀 (177)

平成の江戸城無血開城


9月16日第93代首相鳩山由紀夫氏が選ばれ、新政権が誕生した。戦後初めての本格的な政権交代だ。 今回の政権交代を幕末の江戸城無血開城に例える評論家もいる。

だが、私はそもそも明治維新は今日の政権交代と同様、「インチキ」だったと考えている。つまり、江戸幕府は、英米による江戸幕府支配層の処刑、一掃を恐れていた。表向きは日本の植民地化を恐れていたと言うが、人間は窮地に陥ると必ず究極の利己主義に到達する。きれいごとでは済まされない。

結局、明治維新は、江戸幕府の演出した壮大な「徳川劇場」だった。今日の「小泉劇場」や「小泉チルドレン」を連想すればわかりやすい。当時の報道手段は人の噂や瓦版程度であり、情報操作はどうにでもなった。

江戸幕府の支配層は、明治維新というインチキで西郷隆盛などの公儀隠密を使って、いつのまにか明治政府の支配者になっていた。これは、今日の民主党政権の多くが自民党出身者で占められているのと全く同じ構図だ。歴史は繰り返すというが、歴史が繰り返しているのではなく、人間が歴史を繰り返しているのだ。

勝海舟と西郷隆盛

この二人は、江戸城無血開城の立役者だ。だが、奇妙なことに、現在の霞が関でも、「無血開城」が行われていた。しかも、その権力者の中に、勝海舟のひ孫が二人いた。日本政府だけではなく、世界銀行も支配していたのだ。私は、今日の日本政府の大本営は徳川幕府そのものだと主張してきたが、図らずもそれが実証された。

霞が関の実力官僚の財務省主計局長は、勝海舟のひ孫である勝栄二郎だった。鳩山由紀夫が西郷隆盛で、勝栄二郎主計局長が勝海舟という舞台設定だ。だが、共通点はそれだけではなかった。

江戸幕府海軍奉行 勝海舟

財務省主計局長 勝栄二郎

世界銀行副総裁 勝茂夫

この二人の関係はただ事ではなかった

裏と表が逆転するのが日本の陰謀だ。天下分け目の戊辰戦争を戦いながら、この二人は、最後の土壇場で手を握った。これは偶然ではない。両者は元来公儀隠密の同僚だった。その後の勝海舟の言動はそれを如実に表わす。詳細は後日述べる。

今回、勝主計局長は江戸城を明け渡し、事務次官会議廃止した。だが、明治維新では、勝海舟は明治政府の黒幕となり、政治を牛耳った。もし歴史が繰り返すなら、勝主計局長は、再び鳩山政権を牛耳ることになる。

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  2009/9/23  #238

日本の陰謀 (178)

西郷隆盛井伊直弼


ばかにされる沖縄鹿児島

日本政府は歴史にうるさい。個人の所有資産でも歴史にかかわるものは国が口を出す。薩摩藩装束屋敷の跡地には鹿鳴館が建てられたが、この鹿鳴館という名前は、「鹿児島が泣く舘」に間違いあるまい。薩摩藩西南戦争で明治政府に謀反を働いた。だが、それにしても、この名前の付け方は尋常ではない。

この屋敷は琉球王朝ゆかりの屋敷だった。この薩摩藩中屋敷が装束屋敷と呼ばれるようになったのは、江戸上り琉使一行江戸城に登城する際、ここで装束を着替えたからと言われている。

憲政記念館


彦根藩上屋敷

ところで、安政の大獄を行って尊王攘夷派の薩摩藩士らを処刑した大老井伊直弼の屋敷は、その後どうなったのか調べてみた。なんと、その屋敷跡には、国会議事堂が建設されていた。 戦前には陸軍省参謀本部が置かれた。やはり、明治政府の大本営は徳川幕府だった。

日本では、明治時代薩長の藩閥政治が行われたと言われるが、これは明治維新のインチキを取り繕うための偽装工作と考えたほうがいい。実際、山口鹿児島明治維新以来確実に衰退した

鹿鳴館の跡地は大和生命保険の敷地となったが、この生保会社は、リーマン・ブラザースの破たんに始まる金融恐慌で、昨年倒産した。

西郷隆盛と西南戦争

私はこれまで西郷隆盛を徳川幕府の公儀隠密だと主張してきた。その根拠は次のとおりだ。
1.

西郷隆盛の子孫が一切公の場に出てこない。隆盛の長男西郷寅太郎貴族院議員に就任した。多くの官軍を殺害した謀反人の息子の処遇としては説明がつかない。

2.

鹿児島の西郷隆盛関係者にいかがわしい者が多い。史実と異なることを平気で言う者もいる。よく知られる西郷の肖像は別人であると言われる。

3.

西南戦争で将来を担うべき鹿児島の若者を多く道連れにしたことは、言い訳が許されない。

4.

他県の士族反乱を無視し、結果としてばらばらな反乱で、逆に新政府の体制を盤石なものにした。

5.

幕府軍総大将の勝海舟とほとんど談合していた。

6.

海外と日本を頻繁に往復したり、海外に子供をもうけるなど、日本の特務機関員と一致する点が多い。

7.

ナポレオンとの日付の一致が多く見られる。江戸城無血開城に際し、勝海舟はナポレオンのモスクワ侵攻を参考にした。

安政の大獄

安政の大獄は明治維新を形作る歴史の一こまだと思っている人も多いだろう。だが、この大獄の経緯を詳細に分析すると、この大獄こそ、徳川幕府のみならず、明治政府、そして現在の日本という国家の基本を象徴していることに気付く。

幕末の江戸幕府は、英米の圧力に屈し、1858年7月から10月にかけて、米国ほか四か国と次々に修好通商条約を結ぶ。その直後10月11日には安政の大獄が始まる

井伊直弼は、この弾圧で攘夷派の薩長の藩士だけでなく、江戸幕府の開明派官僚までも大量に追放した。この矛盾した対策は、徳川幕府の鎖国制度と明治維新以降の日本の通商政策の本質と大きくかかわっている。いや、私はこの安政の大獄で初めて日本という国家の歴史の本質に到達したと感じた。これについては議論が深いので、後日述べる。

田原総一朗は現代版の井伊直弼だった。 (2010年2月7日追記)

今日、たまたま田原総一朗が滋賀県立彦根東高校の卒業生だということを知った。この高校は、井伊家の先駆者精神を継承し、県立一中としての誇りと負けじ魂「赤鬼魂あかおにだましい)/rp>」を伝統とする高校だという。

井伊直弼が大老在職中、安政の大獄など全く表にでなかっただろう。むしろ、開国以来の幕府の外交の中心として辣腕らつわん)/rp>を奮っていたいたはずだ。大獄などという見方は、井伊の死後、歴史学者が名付けたものだろう。

井伊直弼は、独断で米国との間で日米修好通商条約を締結したと言われる。これは日本流インチキだ。沖縄問題でも、米国との約束を、首相の独断だとか言って相手国を混乱させる。最初からシナリオは出来ている日本流引き延ばし戦術だ。

井伊直弼は、開国を断行しながら、それに従って自由貿易を始めようとした日本人の役人・商人を弾圧した。

井伊 直弼

田原 総一朗

田原総一朗は、ジャーナリストを代表する論客として言論の自由を謳歌おうか)/rp>するように見えるが、舞台裏では、官僚や警察と談合し、逆らう報道関係者を激しく弾圧していることだろう。まさしく、田原は現代版井伊直弼だった。そして、テレビ朝日は、後日、「平成の大獄」と呼ばれることだろう。

内容には仮説を含んでいます。

 日本の陰謀 (179) ⇒トップ ⇒索引 ⇒ページトップ
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  2009/10/1  #239

日本の陰謀 (179)

前原誠司国土交通大臣


8月30日の総選挙民主党が大勝した。そして、9月16日鳩山由紀夫内閣が成立した。前原氏は国土交通大臣に就任した。

私は、民主党の政治家については評論家としての評価しかできない。これまで野党だったから仕方がない。だが、評論家としての民主党政治家で、評価に値する政治家はいない(自民党の政治家に比較すれば幾分ましかもしれない)。だが、政治は実践であり、これからの政治で実力を発揮してくれるだろう。

ここで、前原氏を取り上げるのは、特に選んだわけではない。たまたまウィキペディアで、前原氏に関する指摘の中に納得いかないものがあるので取り上げることにした。

父親は裁判官

前原氏はホームページで父親は裁判官と言っている。だが、ウィキペディアでは、家庭裁判所の庶務係長だと言う。どちらが事実かはわからない。問題はそれではない。問題は、有力省庁の大臣に就任しながら、矛盾する情報を放置していることだ。これでは日増しに信頼が失われる。

鉄道自殺

前 原 誠 司

制服姿で視察する前原大臣

それだけではない。前原氏の父親は、借金苦で特急に飛び込んで自殺した。このことは問題ではない。逆境を克服して大臣にまでなったのだから、ある意味では尊敬に値するのかもしれない。

だが、前原氏の趣味の一つはSL写真の撮影・収集だという。普通の人は、父親が鉄道自殺をしたあと、鉄道ファンにはならないだろう。この点でも大臣は説明すべきではないだろうか。私は、父親が自殺したことや、SLファンであることを責めているのではない。普通の人なら何もとやかく言うことではない。しかし大臣は国民の顔だ。納得いく説明が欲しい。

(内容はネット上の情報に基づいています。)

 日本の陰謀 (180) ⇒トップ ⇒索引 ⇒ページトップ
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  2009/10/1  #240

日本の陰謀 (180)

クーベルタンの秘密


これまでにナポレオンなど、海外の歴史上の人物と「日本の陰謀」について述べてきた(スターリンヒトラーフジモリ) 。だが、他にも大勢いるように思える。

   今回は、クーベルタンについて取り上げる。その理由は次のとおり。
1.

クーベルタンに関する日本の執着が異常だ。歴史上の外国人で、必ず「男爵」をつけて呼ばれる人は、他に聞いたことがない。

2.

日本の戦争・オリンピックの日付と一致する事例がある(沖縄戦インド航空機爆発事件)。偶然とは思えない。

3.

日仏の連帯、英米との対立を連想させる日付や事件が多い(柔道ナポレオン)。

ピエール・ド・クーベルタン
4.

顔立ちが日本人または日本人との混血に見える。純粋のフランス人には見えない。 ウィキペディアの写真が不鮮明で、顔写真を隠したいような意思を感じる。この時代の人物で、これほど不鮮明な画像が取り上げられる事例はあまりない(代表的画像)。

さらなる日付の一致

例によって誕生日(1863年1月1日)を調べた。驚いたことに、その日は、リンカーン米国大統領
奴隷解放宣言まさにその日だった。クーベルタンとリンカーンの関係はタイタニック号沈没などを経て、未だに続いている。

日本は幕末の開国を迫った米国に対する報復として、1865年4月14日リンカーン大統領を暗殺し、
大統領は翌日死亡した。

1912年、今度は4月14日タイタニック号を氷山に衝突させ、同船は翌日沈没した。このタイタニック
号は、翌月開催されたストックホルムオリンピック観戦のために建造された豪華客船で、オリンピック級客船三隻(オリンピック号、ブリタニック号を含む)のうちの一隻だった。日本はこのオリンピックに初参加で選手二名を送り込んだ。しかし、いずれも棄権し、不名誉な結果に終わった。オリンピックは7月27日閉幕したが、その翌日(日本:7月29日)、明治天皇は死去した。日本ではオリンピックの報道はかき消された。

タイタニック号には一人の日本人細野正文が乗船していた。この男は日本の特務機関員と見る。同船沈没の際、細野は優先されるべき婦女子を押しのけて救命ボートに飛び乗った。日本人紳士がそこまで見苦しい行為をするはずがない。作戦成功を生きて東京に報告せねばならなかったと考えるべきだろう。その後、細野は名誉回復されるが、その経緯はさらにいかがわしい。

クーベルタンは1937年9月2日死亡する。日本はここでも日付の語呂合わせを演じた。1945年米国
から無条件降伏を突き付けられた日本は、その調印の条件として、場所と日付を指定した。またもや、
クーベルタンとタイタニックを記念した。タイタニックを記念して洋上の艦船上で、クーベルタンを記念した
9月2日という条件だった。

降伏文書調印式は日本の思惑通り、東京湾に停泊した米国戦艦ミズーリ号の艦上で
1945年9月2日に行われた。

1985年9月2日(日本時間)、ウッズホール海洋研のロバート・バラードが率いる米仏合同調査隊が
北大西洋沖で沈没したタイタニック号を発見する。

1986年7月14日バラードはアメリカ海軍が保有する有人潜水調査艇アルビン号を使って再度タイタニック号に到達、より詳細な探索を行った。7月14日はフランスの建国記念日だ。

2006年9月2日元豪華客船『ステラ・ポラリス号』が潮岬沖にて沈没した。この客船の沈没の経緯は
極めていかがわしく、日本が計画的に日付を設定したと考えられる。日本は、未だにクーベルタン、タイタニックそしてオリンピックを引きずっている。

タイタニック号再発見にフランスがかかわる理由はないのだが、日本の陰謀、日仏同盟を考える時、一連の不可解な事件に全て合点がいく。

)/rp> べる炭(語呂合わせ)

この時代日本のごろ合わせは活発だ。名前から日付まで数多い。クーベルタンという名前をフランスに詳しい人に尋ねたが、フランスでも珍しい苗字だと言う。日本で言えば、宮崎県知事の「東国原」のような苗字だろう。日本人が語呂合わせで作り出した(探し出した)苗字だ。当時、石炭は今日の原子力発電のようなもので、ある種最先端だった。類似の語呂合わせには次のようなものもある。こじつけもあれば、最初から日本に関係している場合もある。

  猿孤児 負け犬 小浜 栗金団 ひっ捕らえる 酢味噌に餡

  肉損 おばさんジョ 王様 阿呆じゃねぇぞ

オリンピック賛歌

特に合わせた訳ではないが、先ほどコペンハーゲンで開かれたIOC総会で2016年夏季五輪の開催地にリオデジャネイロが決定した。IOC会長が決定を読み上げる前にオリンピック賛歌が演奏された。このオリンピック賛歌は事実上日本製だった。ここにも日本のオリンピックにかける執念が読み取れる。

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  2009/10/6  #241

日本の陰謀 (181)

明治天皇中川昭一


自民党の中川昭一元財務・金融相が10月3日死亡した。死者に鞭打つつもりはないが、気がついたことを述べる。内容は微妙な問題を含んでいるが、事実を知ることは重要だ。事実か邪推かは読者の判断にゆだねる。

オリンピックの失敗と、突然の死

明治天皇は、ストックホルムオリンピック閉幕の翌日死亡した。中川氏は東京オリンピック招致失敗が確定した日の翌日死亡した。

ストックホルムオリンピックは1912年7月27日閉幕した。日本は選手2名を派遣したが、いずれも途中棄権し、結果は散々だった。明治天皇は7月29日(日本時間)死亡した。2009年10月2日コペンハーゲンで行われたIOC総会で、東京は2回目の投票で落選した。中川氏は10月3日死亡した。

明治天皇一家


中川氏死亡のニュースは4日の午前10時少し前

この日は日曜日で午前10時は、テレビ朝日は「サンデープロジェクト」、MHKは「ニュース」の時間だった。当然視聴率は高い。

この時、東京都庁では、東京の16年五輪招致に失敗して帰国した石原慎太郎都知事が記者会見に臨んでいた。

大正天皇昭和天皇の死去

昭和天皇は1989年1月7日死亡した。この年は、平成の幕開けだが、世界は革命的動乱の年となった。

私は昭和天皇崩御の前後の日本の異様な空気を覚えている。サラリーマンの私は仕事が多忙を極めていたが、日付印、ゴム印、帳票の差し替えで混乱したことを覚えている。

天皇の崩御は経済的側面でも大きな影響がある。もし予測できれば経済効果は莫大だ。来るべき昭和天皇の崩御当日は「X デー」と呼ばれ、強力な政府統制がおこなわれた。当然、年号の改正で影響を受ける印刷業界等にはそれなりの指導があったはずだ。

明治天皇、昭和天皇の死去に疑惑を持った時、当然、大正天皇の死去が気になった。驚いたことに、大正天皇も年末に亡くなっていた。死去は、1926年12月25日だ。

今日振り返ると、大正天皇の死去も経済的合理性の見地から説明がつく。そうすると、二人の天皇は、経済的合理性に合致して死去されたことになる。大正天皇が年末の一週間前に死去し、昭和天皇は一週間後に死去した。偶然とは思えない。

日本政府の陰謀を否定することは難しい

これまでも繰り返したように、権力者には説明責任があり、「疑わしきは罰する。」のが当然だ。一般の国民には陰謀の立証責任はない。納税者には権利はあっても義務はない。義務は、納税者相互の間に発生するだけだ。政府は納税者の代理人として表面上強大な権力を持っているに過ぎない。

関係者の冥福を祈るのはは人間として当然のことだ。

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  2009/10/9  #242

日本の陰謀 (182)

岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (1)


同時多発テロという組み合わせに驚く人もいるだろう。実は、書いている私が未だに信じられないくらいだから疑う気持ちはよくわかる。しかし、合理的に判断してこの陰謀は事実だと言わざるを得ない。陰謀説に基づいて時系列に説明する。

1858年江戸幕府は西洋諸国と修好通商条約を結んだが、これは日本にとってとても我慢できる内容ではなかった。明治政府の最重要課題は、この条約改正だった。その第一弾として海外に派遣されたのが岩倉使節団だった。

ここでは、日本得意の「月光仮面戦術」が使われた。

岩倉使節団(左から木戸孝允山口尚芳岩倉具視伊藤博文大久保利通

ハワイの明治維新

ハワイの歴史は面白い。日本の明治維新と異なり、話のつじつまが合う。文章が長くなるので重要な項目だけ抜粋する。

近代化という点では、ハワイは日本の数歩先を歩いていた。ハワイ国王
カメハメハ3世は1840年10月8日憲法を公布し、立憲君主制を確立した。1842年米国が独立を承認、1843年英仏も独立を承認した。

日本は江戸時代を通じてフランスと共謀し、ハワイの獲得を目指していた。公儀隠密や無許可の移民も多かったはずだ。だが、日本の記録では、明治元年が最初の移民となっている。明治維新の混乱期に、海外初の移民などを計画することは考えられない。従来から行われていた非公式の移民を公開に切り替えただけだった。しかも、一応無許可の形式をとっている。何ともいかがわしい。

天保の改革1841年7月3日1845年3月29日

江戸時代の三大改革は受験勉強でよく覚えさせられる史実のひとつだ。だが、この「改革」という言葉には裏の意味がある。寛政の改革はフランス革命を意味した。この天保の改革はハワイの革命を意味した。同時期に中国で阿片戦争が起こっているのも見逃せない。両者とも日本が関わっていることは疑いない。これらは後日検証する。

老中水野忠邦が改革に着手したのは1841年7月3日(天保12年5月15日)。この日は、1815年
6月22日(文化12年5月15日)のナポレオンの皇帝退位を記念したことは間違いない(ハワイの
近代国家成立に対する日本の敗北)。改革は水野の老中辞職で終わるが、この日は1845年3月
29日(弘化2年2月22日)。語呂合わせだった。

語呂合わせはそれだけではない。1845年1月9日(弘化元年12月2日)江戸城火災などを理由に
元号は「弘化」に改元される。この日付は、ナポレオンが皇帝に就任した1804年12月2日(文化元年
11月1日)との語呂合わせだった。この江戸城火災にまつわる陰謀は奥深い。後日述べる。

この改革のごたごたは明治維新と酷似しており、結局ハワイ独立、阿片戦争の敗北で終わった。日本の「改革」は、常に国外での陰謀を意味する。

江戸幕府は、ここでも復讐を誓った。その日は、30年後の1871年にやってきた。

復讐の旅 岩倉使節団

明治政府は条約改正のために、1871年11月20日(明治4年10月8日)外務卿岩倉具視を特命全権大使に任じ、岩倉使節団の欧米派遣を決定した

実は、この10月8日は江戸幕府にとって復讐の日だった。明治政府は新暦・旧暦の語呂合わせを使っているが、この用法は江戸時代から今日まで広範に行われている。

明治政府は、この決定に先立ち、米国で同時多発テロを決行した。その日付は、新暦の1871年10月8日だった。新暦と旧暦の語呂合わせで、陰謀が暴露しないように工夫されている。

ここでも明治政府は江戸幕府の因縁をしっかりと引き継いだ。

(2)に続く  (3)  (4)  (5) 

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  2009/10/10  #243

日本の陰謀 (183)

岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (2)


シカゴ大火

1871年10月8日米国北部は大規模な火災に見舞われた。想像を絶する規模であったことから、多くの人はこれを隕石の大量落下だと信じた。

その中でもシカゴの大火は大規模で、三日間燃え続け、250人以上が焼死、1万7400棟以上が全焼し、10万人以上が焼け出された。

ペシュティゴ大火

1871年10月8日、ウィスコンシン州の製材業の町ペシュティゴの周辺の森林で山火事が発生、4850平方キロ(和歌山県の広さに匹敵)を焼き、1200名から2500名の死者を出した。シカゴ大火と同日に起きており、この山火事はあまり注目されていないが、被害者の数では米国史上最大であった。

ポートヒューロン大火

シカゴ大火

1871年10月8日の大火

1871年10月8日ポートヒューロンホワイトロックなどミシガン州の多くの町で火の手が上がった。少なくとも250人が死亡した。発明王エジソンはこの町で少年期を過ごしている。

岩倉使節団のシカゴ訪問

この大火の3ヶ月後の1872年1月、岩倉使節団はシカゴを訪問し、5千ドル(現在の価値で1億円以上)という多額の寄付をした。この日本の策略は、今日よく言われる「マッチポンプ」であり、ここでは特に、「月光仮面戦術」と呼ぶ。何故大火が10月8日に起こり、何故日本がわざわざ寄付をしたのかについては次項で述べる。

米国の大火には日本の陰謀が多い

1904年2月8日、日本は旅順港のロシア艦隊に奇襲攻撃を仕掛け、日露戦争が始まった。同日(米国2月7日)、米国メリーランド州ボルチモアで大火が起こった。これは中立の立場に立つ米国に一撃を加えることと、直後のセントルイスオリンピックに対しても米国にダメージを与えようとしたものだった。

ボルチモアは両都市の類似性から選ばれた。両都市は大陸の東海岸の天然の良港として繁栄していた。また、両都市は北緯39度に位置()()()していた。米国の東海岸で緯度の位置が近い港はボルチモアしかなかった。

ボルチモア大火

しかし、この日付は実に巧妙に設定された。ナポレオンはアイラウの戦い(1807年2月7日~2月8日)で苦しみながらもプロイセンロシア連合軍を撃破する。上記の二つの日付は、この戦争の語呂合わせだった。完璧だった。

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  2009/10/12  #244

日本の陰謀 (184)

岩倉使節団と日本初の同時多発テロ (3)



岩倉使節団の目的

この使節団の目的は、次の三点だと言われる。

1.

条約を結んでいる各国を訪問し、元首に国書を提出する

2.

江戸時代後期に諸外国と結ばれた不平等条約の改正(条約改正)のための予備交渉

3.

西洋文明の調査

明治維新政府首脳による西洋文明調査旅行
だが、私には、これらは日本の目的ではなく、英米の希望としか思えない。各国に国書を出す必要は日本にはなかった。むしろ英米が、明治政府に対して、江戸幕府の締結した条約を順守する証拠を求めたのだ。もちろん明治政府は言った、「江戸幕府と何の変りもありません。」と。

さらに、不平等条約など日本にはどうでもよかった。背後で陰謀を企てる日本に条約など何の気にもならなかったはずだ。いや、不平等条約が表面上存在したほうが都合がよかった。

さらに、日本は江戸時代から、隠密のネットワークを通じて、西洋文明についての情報を十二分に得ていた。

不平等条約

日米和親条約などの不平等条約は、確かに不平等だった。だが、明治政府にとって不平等だったのは、西欧諸国に対して不平等だったのではない。日本が我慢ならなかったのは、ハワイに対して不平等だったことだ。

ハワイは既に1849年米国との間で平等条約を結んでいた。それは、相互関税撤廃条約(今日の自由貿易協定)だった。当然にハワイよりも先進国を自負する日本がハワイの後塵を拝したことは、許すわけにいかなかった。

日本の「ハワイ真珠湾攻撃」の下地はこの時に作られたといっていい。ある意味で当然の結果だった。

国威発揚の旅

日本の使節団は、江戸時代からその性質は全く変わらない。それは金のばらまきによる国威発揚の旅だ。東京オリンピックの招致活動を見ればよくわかるはずだ。

100名を超える大集団が米欧12ヶ国を632日かけて視察し世界を一周した。当時としては、世界最大規模の使節団だったはずだ。

大火と多額の寄付

では、何故日本はテロを実行し、寄付をしたのだろうか。実は、この手口は日本の「マニュアル」だ。国内でも広範囲に行われる。私もその手を食らったことがある。気がついたのは恥ずかしながら30年経ってからだった。

月光仮面戦術で説明する。

浜辺の少女に声をかけて友達になりたいが、見知らぬ男が声をかけるのは危険だ。一歩間違うと、下心がばれてしまう。警戒心を強めるだけだ。そのため月光仮面戦術は成功率を限りなく100パーセントに近づけるために行われる。

岩倉使節団は、米国の高官や政治家を買収し、日本の協力者を作りたかった。無条件で金を渡すと、賄賂と看做され、犯罪に巻き込まれる恐れがある。たとえ賄賂でも大火の見舞いであれば言い訳が立ち、受け取る側も安心して受け取れる。

日本はテロの実行日に必ず語呂合わせを設定する。今回は、許すことの出来ないハワイの近代化
の日(憲法制定日)が選ばれた。語呂合わせは、「10月8日」だった。

日本の陰謀は手が込んでいる。

スエズ運河

岩倉使節団の海外調査旅行に合わせたかのようにスエズ運河が開通した。だが、不思議なことに、33年後ロシアのバルチック艦隊は、アフリカ大陸南端の喜望峰を回って日本海にやってきた。両者の相違点を精査すると、新たな陰謀が現れた。これらは、後日検証する。

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2008/2/1   ##
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