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日本の陰謀 (191)
徳川家康と英国の陰謀史
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ついに、「陰謀」と名のつく事件に辿り着いてしまった。ジェームズ1世が即位するとすぐに火薬陰謀事件が起こる。事件自体は、何かお笑いだが、ここでも日付が問題だ。
当時の英国ではユリウス暦が採用されており、日本の陰謀でもたまにユリウス暦の語呂合わせがある。和暦を加えると混乱に拍車をかけるので表形式で説明する。グレゴリオ暦は現在の西暦のことだ。
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事件
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グレゴリオ暦(西暦)
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ユリウス暦
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和暦
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徳川家康大阪城入城
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1599年11月15日
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1599年11月5日
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慶長4年9月28日
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ジェームズ1世即位
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1603年3月24日
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1603年3月14日
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慶長8年2月12日
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徳川家康征夷大将軍就任
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火薬陰謀事件
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1605年11月15日
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1605年11月5日
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慶長10年10月5日
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ガイ・フォークス・ナイト
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毎年11月5日
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火薬陰謀事件に因(ちな)み、イギリスでは毎年11月5日に「ガイ・フォークス・ナイト」と呼ばれる行事が各地で開催される。
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豊臣秀頼
方広寺 大仏建立
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1610年11月15日
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1610年11月5日
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慶長15年9月30日
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名誉革命
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1688年11月5日
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1688年10月26日
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元禄元年10月13日
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ヴェルサイユ行進
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1789年10月5日
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1789年9月24日
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寛政元年8月17日
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徳川家康大阪城入城も火薬陰謀事件も11月15日に起こっている。さらにフランス革命におけるヴェルサイユ行進は火薬陰謀事件(慶長10年10月5日)に合わせて1789年10月5日実行された。
ここだけ読むと、こじつけではないかと疑いたくなる。だが、こじつけではない。
これまで再三日付の語呂合わせを論じたので、各項を読んで欲しい。今回、勤労感謝の日の語呂合わせが判明したので参考に表示する。文化元年(1804年)は、日本の欧州支配を記念する年だった。
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事件
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グレゴリオ暦(西暦)
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ユリウス暦
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和暦
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ナポレオン皇帝就任
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1804年12月2日
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1804年11月20日
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文化元年11月1日
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建国記念の日
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1804年2月11日
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1804年1月30日
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文化元年1月1日
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(旧)体育の日
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1804年11月11日
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1804年10月30日
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文化元年10月10日
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勤労感謝の日
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1804年11月23日
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1804年11月11日
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文化元年10月22日
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ガイ・フォークス・ナイト
(関連サイト)
私は実際戸惑っている。本格的な英国の歴史の検証は初めてであり、時間が足りない。現時点で判明したことをそのまま述べることにする。
この記念日の歴史や内容はウィキペディア等で検証してもらうことにして、ここでは日本との関係を述べる。
1606年、英国議会は11月5日を「命を救い給うたことを神に感謝する日」として、法定の祝日と定めた。この制度は1859年に廃止されるまで、2世紀半にわたって続いた。
この記念日の歴史は見事に徳川幕府の期間と一致する。そして、さらに陰謀事件は続く。
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カトリック陰謀事件
(1678年~1681年)
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ライハウス陰謀事件
(1683年6月12日)
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名誉革命
(1688年11月5日)
当時フランスと戦争を始めたばかりのオラニエ公ウィレム3世(のちのウィリアム3世)は、イングランド議会の要請に同意し、オランダ軍2万を率いてイングランドに上陸した。この時ウィレム3世は、火薬陰謀事件の日に合わせて、上陸日を11月5日に設定した。すでに露骨な語呂合わせが始まっている。
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ウィリアム3世
(1689-1702)
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北アイルランド紛争
火薬陰謀事件に始まる一連の陰謀事件は、のちの北アイルランド紛争を惹起する原因の1つとなったといわれる。以前から日本の関与を感じていたが、ここで日本の陰謀とIRAが歴史的に結びついた。
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この時代にどうして同時に事件を起こせるのか。
帆船で日本から英国まで数カ月かかる時代に事件を同時に起こすことはほぼ不可能だろう。そうすると、どちらかがどちらかに事件の日付を捏造したことになる。日本の陰謀の歴史から考えて、それは日本に間違いない。
おそらく、日付の語呂合わせは、歴史の捏造に始まった。家康大阪城入城(1599年11月15日)と家康の征夷大将軍就任(1603年3月24日)は、英国の事件に合わせて、後日日本の歴史を書き換えたものだ。この頃から日本では組織的に歴史を捏造する学問が広がる。おそらく西洋文明に刺激されたのだろう。
徳川家康は、征夷大将軍に就任するために、徳川氏の系図の改姓を行った。「将軍は清和源氏のみ」という慣例があったため、家康は神龍院梵舜に命じて源氏の源義家に通じる徳川氏の系図を整備させた。
一方、火薬陰謀事件(1605年11月15日)は、日本初の海外テロだと思われる。そして、赤穂浪士の吉良邸討ち入り(1703年1月30日)が国内での最初のでっち上げ事件となる。
まだまだわからないことが多いが、今回はここまでにする。紳士淑女の国英国にこのような陰謀の歴史があったとは、改めて驚いた。
追伸 私は英国、英国国民、エリザベス女王を尊敬しています。日本の陰謀の検証で、不愉快な思いをされるかもしれませんが、是非事情を勘案し、ご理解くださいますようお願い申し上げます。万一重大な誤りがある場合はご指摘頂ければ幸いです。
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