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日本の陰謀(3) 7項


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190  米国大統領と日本の陰謀(2) 2009/11/15
191  徳川家康と英国の陰謀史 2009/11/22
192  徳川家康と赤穂浪士 2009/11/29
193  東京地検特捜部という巨悪 2009/12/2
194  ボパール化学工場事故と華岡青洲 2009/12/7
195  麻原彰晃はナポレオン 2009/12/9
196  ピナツボ山噴火はサイパンの戦いの復讐 2009/12/14
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  2009/11/15  #250

日本の陰謀 (190)

米国大統領と日本の陰謀(2)


歴史を下るにつれて日本の陰謀はますます巧妙になり、検証が難しい。同じパターンの繰り返しでは見破られてしまうからだ。他の大統領の死亡にも陰謀の影を感じるが、今回は3人の大統領の事例を取り上げる。

ハワイ国王カラカウアの日本訪問

日本が江戸時代からハワイの獲得を狙っていたことは既に述べたが、この時期日本は実行に移る。

1881年カラカウア王は、世界歴訪に旅立った。日本が手配したものに間違いない。ハワイをめぐって日米は緊張関係にあった。ハワイ国王が日本だけを訪問することを米国が許すはずはない。それゆえ、世界歴訪の途中、日本に立ち寄ることにした。

1881年ハワイ国王の世界歴訪

1900年義和団事件

日本の歴史本では次のように書かれている。

日本にとっては、最初の外国元首来日だった。1881年3月4日、ハワイ国王は明治天皇と会見し移民の要請およびカイウラニ王女山階宮定磨王の政略結婚を要請した。だが、その後明治政府は政略結婚は断った。

これは明らかに日本のプロパガンダだ(日本には巧妙なトリックが制度として存在する。ここでは、「立案制度」と呼ぶことにする)。事実は、主客転倒だ。日本が政略結婚を画策したが、米国の強硬な抗議で取り消したのだ。しかし、朝鮮同様、日本はハワイについても将来の併合の口実を手に入れた。そもそも、カラカウア王にも疑惑がある。名前が日本語の語呂合わせだ。しかも国王就任の経緯がいかがわしい。

ガーフィールド大統領暗殺

ジェームズ・ガーフィールドは第20代米国大統領だ。当時大統領の就任は3月4日に制度化されていた。上記のハワイ国王の天皇会見は、大統領就任日に合わせて計画されたものだった。日本は常に偶然を装う露骨な陰謀を行う。今回のオバマ大統領訪日についても様々な偶然を演出した。

ハワイ獲得を妨害された日本は、7月2日大統領暗殺を決行する。本来なら独立記念日の7月4日のはずだが、既に4人の大統領がその日暗殺されており、今回は2日ずらした。大統領は重傷を負い、1881年9月19日死亡した。

ヘイズ大統領暗殺

第19代米国大統領は上記の3月4日大統領を退任した。そして、1893年1月17日心臓発作で死亡する。だが、これも暗殺だった。実はこの日、日米は一触即発の戦争の危機にあった。

カラカウア王とその後継者妹リリウオカラニ女王は日本の支援のもと保守的王政を堅持した。日本移民の急増と民主主義の名のもとに日本への併合が行われることを危惧した米国は1月17日他の列強諸国の支持のもとクーデターを実行した(ハワイ革命)。日本は「在留邦人保護」を名目として、巡洋艦「浪速」(艦長:東郷平八郎)、「金剛」をホノルル港へ派遣した。

西太后せいたいごう)/rp>と清朝の崩壊

中国の歴史は、少なくとも19世紀初頭から日本の陰謀に翻弄されている。それ以前も日本の倭寇は中国東南アジアを荒らしまわっていた。

1850年9代清朝皇帝咸豊帝かんぽうてい)/rp>が皇帝に就く。1856年咸豊帝の長男同治帝どうちてい)/rp>を産んだ官僚の娘がやがて西太后となる。同治帝は1875年早世する。西太后は妹の子で8代皇帝の孫光緒帝こうしょてい)/rp>を11代皇帝として擁立する。光緒帝は1908年11月14日毒殺される。その翌日西太后は宣統帝せんとうてい)/rp>(光緒帝の甥:当時2才)を次期皇帝に指名して死ぬ。宣統帝は辛亥革命しんがいかくめい)/rp>で退位するが、1934年日本の傀儡かいらい)/rp>となり満州皇帝康徳帝こうとくてい)/rp>として即位する。この皇帝が俗に「最後の皇帝」として広く知られる溥儀ふぎ)/rp>だった。

私は、西太后が日本人あるいは日本の傀儡かいらい)/rp>だったと信じる。フランス革命でブルボン王朝を乗っ取るナポレオン家と手段が酷似する。繁栄を目指すふりをしながら自滅する手法も同じだ。西太后は光緒帝の愛妃珍妃ちんひ)/rp>の殺害を命じた。後日、珍妃の遺体を井戸から引き上げ弔ったのは日本軍だった。珍妃も日本人だった。

義和団事件

西太后が清王朝を徐々に滅亡させる過程で義和団事件が起こる(1900年)。そもそも「義和」という言葉は巧妙な語呂合わせだ。日本語では、「大和に忠義」を意味する。一方、中国語では、「正義と平和」を意味し、「」に日本という意味はあるが、「和」には日本と言う意味は全くない。

義和団事件も日本の策略だった。日本は世界戦略も使った。南アフリカではボーア戦争(1880年~1902年)で再三英国軍を疲弊させた。フィリピンでは、独立運動活動家のエミリオ・アギナルドが米国からの独立を求めて米比戦争を起こした。ここでも米国軍は疲弊した。日本とアフリカとの関係は織田信長までさかのぼる。

ハワイ国王
カラカウア


明治天皇

20代大統領
ジェームズ・
ガーフィールド


19代大統領
ラザフォード・
ヘイズ


25代大統領
ウィリアム・
マッキンリー


西太后

康徳帝(溥儀)

珍妃

エミリオ
・アギナルド

アギナルドは外見から日本人であることは間違いない。太平洋戦争では日本軍に協力した。

だが、列強各国は連合軍を組織し、日本の独占を許さなかった。結果は北京議定書だった。巨額の賠償金は得られたものの、清朝を丸ごと乗っ取る日本の「月光仮面戦術」は挫折した。

マッキンリー大統領暗殺

北京議定書では、「収奪」を目的とする日本と、「寛容」を理念とする米国では意見が対立した。日本は調印の日(中国:1901年9月7日/米国:9月6日)、マッキンリー大統領暗殺を企てた。同大統領は狙撃され、重傷を負い、9月14日死亡した。

一方、北京議定書に基づく中国側の賠償金支払いは1938年まで続く。米国はその賠償金を中国人留学生への援助や清華大学の建設などに充当した。日本は、過酷な取り立てが終わるや否や侵略戦争で略奪を始めた。

(続く)

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  2009/11/22  #251

日本の陰謀 (191)

徳川家康と英国の陰謀史


明治維新が徳川幕府のインチキだったことは既に述べた。さらに徳川幕府の諸改革も海外での日本の陰謀の目くらましであること、さらには鎖国が明治政府のでっち上げであることも述べた。

どうも日本の陰謀の起源は徳川幕府以前にありそうな予感がしていたが、今回、ついに徳川家康までたどり着いた。検証は足りないが、現時点で判明した事項を検証する。

赤穂浪士英国清教徒革命のパロディ

二人の米国大統領が、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日に死亡していた。日本には重大な暗殺の動機があった。当然、日付は語呂合わせだった。だが、吉良邸討ち入りの日が何故元禄15年12月14日(1703年1月30日)に設定されたかは不明だった。調べると、英国の清教徒革命で国王チャールズ1世が処刑された1649年1月30日が出てきた。

日本の陰謀は数多くの類似事件を実証することで検証出来る特徴がある。今回も類似事件を調べた。

ジェームズ1世の即位と徳川家康の征夷大将軍就任

チャールズ1世の先代はジェームズ1世だが、この国王には本当に血なまぐさい事件が多い。しかもイングランド王に就任した日が、徳川家康の征夷大将軍就任と全く同じ日だ(1603年3月24日:慶長8年2月12日)。これはどう説明したらいいのだろうか。とりあえず解説は後日することにして話を進める。

エリザベス1世が死去(ユリウス暦1603年3月14日)して後継者に指名されたのは従兄の孫のジェームズ1世だった。この経緯にも如何わしさが残る。

火薬陰謀事件

徳 川 家 康
(1603-1605)


イングランド王 チャールズ1世
(1625-1649)


イングランド王 ジェームズ1世
(1603-1625)


イングランド王 エリザベス1世
(1558-1603)

ついに、「陰謀」と名のつく事件に辿たど)/rp>り着いてしまった。ジェームズ1世が即位するとすぐに火薬陰謀事件が起こる。事件自体は、何かお笑いだが、ここでも日付が問題だ。

当時の英国ではユリウス暦が採用されており、日本の陰謀でもたまにユリウス暦の語呂合わせがある。和暦を加えると混乱に拍車をかけるので表形式で説明する。グレゴリオ暦は現在の西暦のことだ。

暦の変換は、こちらのサイトを参照。
事件 グレゴリオ暦(西暦) ユリウス暦 和暦
徳川家康大阪城入城 1599年11月15日 1599年11月5日 慶長4年9月28日
ジェームズ1世即位 1603年3月24日 1603年3月14日 慶長8年2月12日
徳川家康征夷大将軍就任
火薬陰謀事件 1605年11月15日 1605年11月5日 慶長10年10月5日
ガイ・フォークス・ナイト 毎年11月5日 火薬陰謀事件に因(ちな)み、イギリスでは毎年11月5日に「ガイ・フォークス・ナイト」と呼ばれる行事が各地で開催される
豊臣秀頼 方広寺 大仏建立 1610年11月15日 1610年11月5日 慶長15年9月30日
名誉革命 1688年11月5日 1688年10月26日 元禄元年10月13日
ヴェルサイユ行進 1789年10月5日 1789年9月24日 寛政元年8月17日

徳川家康大阪城入城も火薬陰謀事件も11月15日に起こっている。さらにフランス革命におけるヴェルサイユ行進は火薬陰謀事件(慶長10年10月5日)に合わせて1789年10月5日実行された。

ここだけ読むと、こじつけではないかと疑いたくなる。だが、こじつけではない。

これまで再三日付の語呂合わせを論じたので、各項を読んで欲しい。今回、勤労感謝の日の語呂合わせが判明したので参考に表示する。文化元年(1804年)は、日本の欧州支配を記念する年だった。

ナポレオンに関する詳細はこちらを参照。  暦の変換は、こちらのサイトを参照。
事件 グレゴリオ暦(西暦) ユリウス暦 和暦
ナポレオン皇帝就任 1804年12月2日 1804年11月20日 文化元年11月1日
建国記念の日 1804年2月11日 1804年1月30日 文化元年1月1日
(旧)体育の日 1804年11月11日 1804年10月30日 文化元年10月10日
勤労感謝の日 1804年11月23日 1804年11月11日 文化元年10月22日


ガイ・フォークス・ナイト 関連サイト

私は実際戸惑っている。本格的な英国の歴史の検証は初めてであり、時間が足りない。現時点で判明したことをそのまま述べることにする。

この記念日の歴史や内容はウィキペディア等で検証してもらうことにして、ここでは日本との関係を述べる。

1606年、英国議会は11月5日を「命を救い給うたことを神に感謝する日」として、法定の祝日と定めた。この制度は1859年に廃止されるまで、2世紀半にわたって続いた。

この記念日の歴史は見事に徳川幕府の期間と一致する。そして、さらに陰謀事件は続く。

カトリック陰謀事件 (1678年~1681年)

ライハウス陰謀事件 1683年6月12日

名誉革命 (1688年11月5日)

当時フランスと戦争を始めたばかりのオラニエ公ウィレム3世(のちのウィリアム3世)は、イングランド議会の要請に同意し、オランダ軍2万を率いてイングランドに上陸した。この時ウィレム3世は、火薬陰謀事件の日に合わせて、上陸日を11月5日に設定した。すでに露骨な語呂合わせが始まっている。

ウィリアム3世
(1689-1702)


北アイルランド紛争

火薬陰謀事件に始まる一連の陰謀事件は、のちの北アイルランド紛争を惹起する原因の1つとなったといわれる。以前から日本の関与を感じていたが、ここで日本の陰謀とIRAが歴史的に結びついた。

この時代にどうして同時に事件を起こせるのか。

帆船で日本から英国まで数カ月かかる時代に事件を同時に起こすことはほぼ不可能だろう。そうすると、どちらかがどちらかに事件の日付を捏造したことになる。日本の陰謀の歴史から考えて、それは日本に間違いない。

おそらく、日付の語呂合わせは、歴史の捏造に始まった。家康大阪城入城(1599年11月15日)と家康の征夷大将軍就任(1603年3月24日)は、英国の事件に合わせて、後日日本の歴史を書き換えたものだ。この頃から日本では組織的に歴史を捏造する学問が広がる。おそらく西洋文明に刺激されたのだろう。

徳川家康は、征夷大将軍に就任するために、徳川氏の系図の改姓を行った。「将軍は清和源氏のみ」という慣例があったため、家康は神龍院梵舜しんりゅういん ぼんしゅん)/rp>に命じて源氏の源義家に通じる徳川氏の系図を整備させた。

一方、火薬陰謀事件(1605年11月15日)は、日本初の海外テロだと思われる。そして、赤穂浪士の吉良邸討ち入り(1703年1月30日)が国内での最初のでっち上げ事件となる。

まだまだわからないことが多いが、今回はここまでにする。紳士淑女の国英国にこのような陰謀の歴史があったとは、改めて驚いた。

追伸 私は英国、英国国民、エリザベス女王を尊敬しています。日本の陰謀の検証で、不愉快な思いをされるかもしれませんが、是非事情を勘案し、ご理解くださいますようお願い申し上げます。万一重大な誤りがある場合はご指摘頂ければ幸いです。

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  2009/11/29  #252

日本の陰謀 (192)

徳川家康赤穂浪士


前項で、赤穂浪士は英国清教徒革命のパロディであることを述べたが、1月30日(和暦12月14日)という日付は説明できても、1703年と47人という数字は説明出来なかった。日本の陰謀の特徴として、必ず数字には意味があることが分かっている。調べてみた。

英国の事件に徳川家康の日付が関連していることは判明していた。だが、徳川家康の情報にはもう一つ不可解なものがあった。ウィキペディアではほとんどは年月日がグレゴリオ暦で記載されるのだが、徳川家康に限ってユリウス暦が用いられている。ネット上の情報で間違いがあったり、検索に現れない場合は、何か秘密が含まれる場合が多い。それで徳川家康についてさらに調べた。

4月17日 (旧暦)

徳川家康は1616年6月1日に死亡した。この日付もいわくありげな日付だ。実際、徳川家康の死には暗殺説もある。この日は旧暦で元和2年4月17日だった。

赤 穂 浪 士
(1703)


由 井 正 雪
(1651)

念のため、西暦の4月17日を調べた。すると、1986年4月17日三百三十五年戦争の終結宣言が目を引いた。家康と時代が重なる。この宣言は明らかにパロディだ。しかも日本はしばしばこういったどうでもいいことに力を注ぐ

もともとこの戦争は英国の清教徒革命にかかる内戦問題であり、赤穂浪士が清教徒革命のパロディであることから、上記の戦争終結宣言も赤穂浪士のパロディということになる。未だに日本政府は徳川幕府の因縁を引き継ぐ。

この戦争のあった335年前の1651年、日本では由井正雪の乱慶安けいあん)/rp>の変)が起こっている。私は日本政府には事件を捏造する性癖があり、その起源は「大塩平八郎の乱」だと述べたが、さらにこの事件に遡ることがわかった。

由井正雪は、3代将軍家光の死の直後、幕府政策を批判し、浪人を集めて幕府転覆を計画した。しかし仲間の密告により事前に発覚、正雪は駿府の宿にて町奉行の捕り方に囲まれ自刃した。享年47才だった。これで分かった。一連の事件は全て「47」をテーマにした語呂合わせだ。出発点は徳川家康だった。

密告により発覚する点や、「月光仮面戦術」を使っている点など、同時代の英国で起こった「火薬陰謀事件」のパロディでもある。

「四十七日」と「四十七士」

結局四十七士は、四(月)十七日との語呂合わせだった。しかも、「ひ」と「し」が異なるところに江戸っ子の特徴がよく表れている。当時、江戸では、「ひ」と「し」の発音はほとんど同じだった。今日でもそういった発音は残っている。

飛行機 ひこうき しこうき
七輪 しちりん ひちりん
ひつじ しつじ
潮干狩り しおひがり ひおしがり
布団を敷く ふとんをしく ふとんをひく
昼ごはん ひるごはん しるごはん


徳川幕府開府100周年記念

ここまで家康とのからみが現れると、1703年は家康の記念の年であったことはすぐに気がついた。これだけ簡単な語呂合わせだが、その気にならないとなかなか気がつかない。

英国の王室にも日本人の影が

これまで欧米の有名人に日本人の影が付きまとうことを述べたが、ここでも日本人を感じさせるものがいくつかある。

エリザベス1世が死去した日、徳川家康が征夷大将軍に就任する(1603年)。エリザベス1世は、かねてから「私は英国と結婚しました」と公言し、生涯独身だった。しかし、実際にはロバート・ダドリー卿などの愛人を持っていた。このロバート・ダドリーは、ちょんまげを結っており、織田信長にそっくりだ。当時西洋では貴族の間でちょんまげ(トップノット)が流行はや)/rp>っていた。日本の侍がこのちょんまげをまねた可能性もある。

上記の三百三十五年戦争(1651年)の主人公がイングランド王チャールズ2世だ。チャールズ2世は一時オランダに亡命していたことから、オランダが英国の内戦に干渉したのだ。日本の陰謀にもようやくオランダが登場してきた。

ところで、この国王には上げ底の靴を履いている写真が残っている。これは背が低かったためではないだろうか。ナポレオンも背の低さの劣等感に悩まされたという。今日の西欧の首脳陣はほとんど背が低い

名誉革命(1688年)でオランダから軍を率いて英国に上陸したウィリアム3世も背が低く妻との釣り合いが取れなかったという。妻のメアリー2世の容姿は大正時代の日本人女性を彷彿ほうふつ)/rp>させる。

ロバート・ダドリー
(1533-1588)


織田信長
(1534-1582)


イングランド王
チャールズ2世
(在位1660-
1685)


イングランド王
ウィリアム3世
(在位1689-
1702)


イングランド王
メアリー2世
(在位1689-
1694)


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  2009/12/2  #253

日本の陰謀 (193)

東京地検特捜部という巨悪


141項で日本の巨悪は、警察・司法組織だと述べたが、相変わらずこいつらは横暴を振って日本の政治をかき回し、国民を愚弄する。

社員が社長を首にする会社がどこにあるだろうか。首相の指示に忠実に仕事をすべき東京地検特捜部が、首相に事情聴取すると言う。三流テレビドラマではあるまいし、普通の国でこういう事があればクーデターだ。

警察にそのような仕事を頼んだ覚えはない

国民は、首相に腐敗した警察を厳しく監督せよと言って選挙で選び、税金を払っているのだ。警察官僚は自分のわがままで仕事を手に入れた者達だ。公正な試験や面接といっても日本に信用できる試験制度や面接制度はない。身内で仕事を順に引き継いでいるだけだ。

警察はそのような仕事が出来ない

鳩山首相は総理大臣である前に国会議員であり、国会会期中は不逮捕特権がある。特捜部は逮捕できない。しかも、どさくさに紛れて会期を延長している。

首相の顧問弁護士はどこにいるのか

驚いたことに、警察から被告を守るもう一つの法律の番人である弁護士達は、警察の隣のビルで仲良く仕事をする(写真参照)。日本の弁護士は警察の別働隊で、公明党や共産党が政府の別働隊であるのと同じ構図だ。まともな弁護などあるはずがない。だからこそ表面上は規律正しい手続きを装う。

首相は即日首にできる

そうすれば首相は独裁者になると言う者がいる。だが、首相は国会で即日首に出来る。本来、首相に事情聴取をするのが国会の役割だ。

東側から見た検察庁 

南側から見た検察庁
A=弁護士会館
B=東京簡易裁判所
C=東京区検察庁
D=最高検察庁等
E=法務省
F=裁判所(高裁・地裁)

北側から見た大阪高等検察庁

国会での質疑拒否は首相失格

しかし、警察の操り人形である国会議員たちは、国会で単なるおしゃべりを繰り返す。挙句の果てに、首相は、「捜査中であり、お答えを差し控えさせていただきます。」などと、訳のわからない答弁をする。

こういった答弁は民主主義、憲法の精神を踏みにじるものであり、当然「内閣不信任」の要件を満たす。野党は、即内閣不信任案を提出し、審議拒否で国会を空転させればいい。つまり、首相が独裁者で自分の罪を隠していると国民に訴えればいいのだ。

民主党が不信任案を否決しても首相を退陣に追い込むことは出来る。日本政府の相手は国民や野党ばかりではない。外国政府、外国の消費者が見守っているのだ。

検察庁法は憲法違反

ウィキペディアでは次のように説明されている。

この法律の運用・解釈によると、法務大臣は行政機関たる検察庁を擁する法務省の長であるが、直接検察官に対し指揮することは認められていない。 検察官は政治からの一定の独立性を保持しており、法の正義に従った職能を行使することが期待される。

だが、国民は誰も検察官に期待していない。少なくとも、期待しない国民がいるかぎり、憲法違反だ。

検察官は首に出来ない

検察庁幹部には本庁の検事総長、次長検事のほか、東京、大阪、名古屋、広島、福岡、仙台、札幌、高松の八つの高等検察庁に検事長がいる。 この者たちは、認証官と言われる。認証官は天皇から直接辞令を受ける。首相からではない。 その認証官の下に2千名を超える検察官がいるが、首相はこいつらを首にできない。

検察官適格審査会

検察庁法第23条によると、国会議員6人を含む11人で構成される検察官適格審査会が罷免の勧告を行う。

現在の構成は右の通りだ。前回の選挙で落選した委員には予備委員が法律により定められている。これが巧妙だ。何故、予備委員などという込み入った制度にするのか。

それは、選挙のたびに委員を指名すると、それだけ国民の目に触れる割合が増える。だから、一括指名して、出来るだけ話題に上らないようにしている。

こういった究極の組織に日本の真実が濃縮される。委員は全て男性で女性は予備委員に置かれる。しかも誰が誰の予備かもわからない。

問題はその後だ。面白いことに、この法律では、法務大臣は、一般の検察官を罷免することは出来ても、検事総長、次長検事及び検事長には勧告しか出来ない。法律上、これらの検事たちは、自分で辞めるまで待つしかない。何という法律か。しかも、首相の名前も権限もどこにも出てこない。

形式上はぎりぎり民主主義

検察官適格審査会11人のうち6人は国会議員だから、国民の声がぎりぎりの状況で反映される可能性がある。これが、日本の大本営にとってのアキレス腱だ。だからこそ、大本営は間抜けな人間を探してきては政治家に育てる。間違っても、この委員会で裁判官や弁護士が国会議員から論破されないようにしている。よく出来た仕組みだ。

これまで、どうして間抜けな者たちを政治家に育て上げるのか、その理由がわからなかったが、ようやく納得いく答えが見つかった。

4年余も待たせる検察官適格審査会

ネット上でこの投稿を見つけた。文章のレベルから見て冗談ではないようだ。本当に冗談では済まされない。私も警察署や県警本部でほぼ同様の応対を受けており、全く共感する。

高山智司
(衆議院議員)
吉田泉
(衆議院議員)
山花郁夫
(衆議院議員)
平沢勝栄
(衆議院議員)
白眞勲
(参議院議員)
松村龍二
(参議院議員)
堀籠幸男
(最高裁判事)
宮崎誠
(弁護士会会長)
松尾浩也
(学士院会員)
井上正仁
(東大教授)
原田明夫
(弁護士)

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  2009/12/7  #254

日本の陰謀 (194)

ボパール化学工場事故華岡青洲


数日前BBC放送が繰り返しボパール化学工場事故を報道した。この事件は日本ではほとんど注目されず、私にはその事故の異様さだけが記憶に残っていた。すぐに日付を調べて日本の陰謀を確信した。

ボパール化学工場事故

ボパールは、インド中部のマッディヤ・プラデーシュ州の州都で人口143万人。中世イスラム王朝が続き、モスクなどの歴史的建造物も多い。近年は重化学工業化が進み、またこの大事故により、悪いイメージが定着してしまった。

この事故の特徴は、死者の数が1万5000人~2万5000人に上ったとされながら、原因の究明や被害の補償が遅々として進まなかったことだ。破壊工作を行ったとされる従業員も特定されていない。

この化学工場は米国ユニオンカーバイド社の子会社で、現地で殺虫剤の生産を行っていた。そのタンクから大量の有毒ガスが流出したのだ。

事件の起こったのは、1984年12月3日だった。

華岡青洲の世界初の乳癌麻酔手術

華岡青洲は江戸時代の外科医。苦労して麻酔薬を開発するが、その努力には凄まじいものがあった。敬意に値すると思うが、日本はここでもテロを重ねた。「殺虫剤」と「麻酔」は、生物を昏睡状態に陥れる点が共通していると言うのだろう。麻酔手術に成功したのは、文化2年10月13日(1805年12月3日)だった。

テロ実行時間に重大な特徴

日本のかかわるテロには必ず日時に特徴がある。それは日付に語呂合わせがあり、テロは成功報酬など一発で成功させねばならないことだ。やり直しが別の日に出来ないのだ。それゆえ、今回のように日付が先に決定している場合は、万一に備えて出来るだけ早朝に行う。この事件では完璧を期すため、午前0時過ぎに実行している。

タイタニック号沈没9.11同時多発テロなど時間の特徴を残すテロは多い。

ボパール化学工場


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華 岡 青 洲

華岡青洲は和歌山県
紀の川市の出身

インディラ・ガンディー首相の暗殺

この事件の起こる1月前の1984年10月31日、インディラ・ガンディー首相が暗殺される。この日は、 第一次世界大戦で日本軍がドイツの拠点青島を攻撃した日だ(1914年10月31日)。

後を継いで首相に就任した息子のラジーヴ・ガンディーはそれまでのソビエト寄りの姿勢から、アメリカとの関係改善に着手した。ラジーヴも1991年暗殺されるが、このボパール化学工場事件は、ラジーヴ政権に対する揺さぶりと考えていいだろう。

有吉佐和子

作家の有吉佐和子もまた和歌山県の出身で「華岡青洲の妻」を執筆している。何の因果か知らないが、有吉もボパール化学工場事件の起こる3か月前に53才で心不全で急死している。死因については疑惑が持たれている。

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  2009/12/9  #255

日本の陰謀 (195)

麻原彰晃ナポレオン


麻原彰晃については、既にオウム真理教に関して述べており、それで終わったと思っていた。ところが、ナポレオンについて編集するうち、再びオウム真理教が浮かび上がってきた。結論を先に言うと、麻原彰晃は、「日本版ナポレオン」だった。

地下鉄サリン事件

1995年3月20日麻原彰晃は地下鉄サリン事件を起こす。日本がこの3月20日にこだわっていることは明らかだった。ナポレオンを調べると、1815年3月20日(皇帝就任)に始まる「百日天下」が出てきた。そう言えば、オウム真理教のこの事件も100日程度で終局を迎えた。似ていると思った。日付を調べた。

麻原彰晃の逮捕

1995年5月16日、麻原は山梨県上九一色村かみくいしきむら)/rp>のオウム真理教の教団施設で地下鉄サリン事件の首謀者として逮捕された。5月16日を調べたが、特段語呂合わせは出てこない。

だが、日本は戦前にこの百日天下をモチーフにした軍事クーデターを行っていた。その日付は、2月26日と5月15日だった。ここで5月15日と5月16日が一日違いであることに気付いた。日本は、時差による日付の違いを陰謀にもしばしば利用する。

ブラジル労働者党は、日本の建国記念日の2月11日の前日2月10日に設立された。日本時間の2月11日(ブラジルでは2月10日)に合わせたのだ。だが、これだけでは不足と見た日本は、裁判所の認可を2年後の2月11日に行わせ、つじつまを合わせた。こういった、時差による日付の一日違いは日本の陰謀ではしばしば見られる。

麻原彰晃の百日天下

これで話が繋がった。麻原はナポレオン皇帝就任の3月20日に地下鉄サリン事件を起こし表舞台に登場した。そして、ナポレオンが皇帝退位に追い込まれた5月16日(日本時間:文化12年5月16日、西暦1815年6月23日)に逮捕された。

やはり、語呂合わせだった。しかも、この逮捕劇は日本政府・警察が実行したことであり、語呂合わせは日本政府が関与していることになる。1日ずらしたのは、五・一五事件のこともあり、露骨な語呂合わせを避けたのだろう。用意は周到だ。

上九一色村も語呂合わせ

上九一色村は極めて知名度の低い村で、この村をオウムの本拠地にした理由がわからなかった。だが、今回の検証で、この村が選ばれたのは、九・一・一の語呂合わせだったことに気付いた。1995年の時点で日本政府は9.11テロを考慮していた。コンピューターの検索が一般化した今日、この語呂合わせにも検索の特徴がよく表れている。

誕生日は鑑真の日

麻原の誕生日は、鑑真が平城京に到着し聖武上皇以下の歓待を受けた日(ユリウス暦754年3月2日)の語呂合わせだった。ほとんど冗談の世界だが、日本の有名人には誕生日の語呂合わせが多く、中には語呂合わせで誕生日を届け出る者もいる。

サダム・フセイン

麻 原 彰 晃

ナポレオン・ボナパルト

第七サティアン

ワーテルローの戦い

アメリカ同時多発テロ事件

鑑 真 和 上

サダム・フセイン


サダム・フセイン
(逮捕直後)

サダム・フセインの逮捕劇は、麻原の逮捕劇と酷似していた。語呂合わせがあると確信した。調べると、麻原よりもお笑いだった。誕生日は、日本で最初の文化勲章授章式が行われた1937年4月28日で、逮捕されたのは、赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日(2003年)12月14日だった。

誕生日を勲章の授与式の日に合わせたのか、それとも誕生日に授与式を行ったかのは知らないが、いずれにしても関連があるとすれば、それは誕生日に遡ることになり、他のテロリスト同様、日本人(または混血)である可能性は高い。

3月20日は日本の重要な日

今回の検証でさらに多くの事が判明した。後日述べる。

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  2009/12/14  #256

日本の陰謀 (196)

ピナツボ山噴火はサイパンの戦いの復讐


ピナツボ山噴火は人工爆発であることは間違いなかった。未だに述べていないが火山爆発の陰謀は個人的にも経験している。この噴火については検証が完全でないことから後回しにしていたが、沖縄の普天間基地移設問題が風雲急を告げてきたので、取り急いで述べる。

この火山噴火の陰謀も込み入っているが、時間が足りないので、事実だけを列記する。

結論

日本は、サイパンの戦いの復讐として、雲仙普賢岳とピナツボ山を噴火させた。

普賢岳では1991年6月3日に大火砕流が発生し、死者行方不明者43名という大被害をもたらした。この日は、米軍がサイパン攻撃を決定したグラニト計画(1944年6月3日)に合わせた。

一方、その直後6月15日にはピナツボ山が大噴火を起こした。それだけでは済まなかった。日本は台風も同時にぶつけた。台風ユンヤが噴火と同時に襲ってきたのだ。その結果、数百名の地元住民が死亡し、農業は大打撃を受けた。当初、当日の噴火の写真がネット上に見つからないことに疑問を持ったが、大嵐のために写真を取る余裕もまた風景もなかったことに気付いた。

ピナツボ山の麓には米軍クラーク基地があったが、ここも大きな被害を受けたため、1991年11月スービック海軍基地と共に11月26日にフィリピン政府に返還され、米軍は完全にフィリピンから撤退した。

実は、ピナツボ山噴火の6月15日は、米軍がサイパン島に上陸を開始した日だった(1944年6月15日)。これも語呂合わせだった。火山爆発の陰謀はこれまでに、ベスビオス火山セント・ヘレンズ山の事例を取り上げた。

さらに、ピナツボ山もサイパン島もおよそ北緯15度の線上に位置する。日本は、同じ緯度の地域に多発テロを行う。1904年2月8日北緯39度上にある旅順港とボルチモアを日本は同時に攻撃した

日本は何故このような馬鹿げた陰謀を行うのか

陰謀にはそれ自体に本来大きな特徴がある。陰謀が不発に終わった時、それが暴露される危険性を考えると大失敗になる。それで陰謀を実行する部隊は、最も効果の出る環境を設置する。日本の場合は完全にマニュアルがある。 私の知りえたマニュアルのいくつかは既に説明したが、ここでは、「原因結果の逆転陰謀」について説明する。これは非常に込み入ったシナリオであり、いい言葉が見当たらない。それで、ここでは、「原因結果の逆転陰謀」として話を進める。

原因結果の逆転陰謀

この陰謀は、私も個人的に繰り返し受けてきた。だが、それがマニュアルであることに気付くまで10年以上要した。それほど巧妙な陰謀だ。わかりやすい事例として私の経験の中から簡単なものを紹介する。

私が外出すると、いたるところで集団ストーカーが嫌がらせを行う。だが、それはランダムであり、常時ではない。それだからこそなおさら心理的効果を高めるのだ。買物などでスーパーに立ち寄って買物する時、ストーカー達はもっぱらレジの近辺から駐車場の周辺と私の帰るところで嫌がらせをしかける。それには理由があった。私は、嫌がらせをされても帰宅の準備に入っており、敢えて抗議したり苦情を言わない。黙って無視して帰っていく。これが、ストーカーの側に、「勝組」、私の側に、「負組」と言う心理的効果を及ぼす。一回や二回では大したことはないが、長期的な嫌がらせでは、徐々にボディー・ブローが効いてくる。

つまり、相手が「背を見せた時」に嫌がらせをしかけて、黙って移動しても外見上、負けて逃げ出したように見える効果を狙うのだ。

米軍クラーク基地は米軍の側から撤退の話を持ち出した。

日本の報道や評論家の話では、米軍は火山の噴火と台風に負けて撤退したと言うものも多かった。だが、真実は逆だったこの噴火の前から米軍は撤退の方針を打ち出していた。原因は、ソ連崩壊で基地の必要性が薄れたからだった。

日本は沖縄の米軍基地移転を陰謀の好機ととらえている。

今回、日本政府が故意に米国を挑発しているのは、今後の大規模な陰謀に備えて、日米摩擦を作り出し、米軍が負け犬となって帰国するのを見極めたいのだ。日本は、「笑顔で手を振り、任務終了として元気で帰国する米軍」を絶対に見たくないのだ。情けない話になった。

噴火するピナツボ山
(1991年6月12日)


降灰の重さで尻もちをついた
米国航空会社の貨物機


ピナツボ山噴火と同時に
襲った台風ユンヤ


北緯15度の線上に位置する
ピナツボ山とサイパン島


サイパンの戦い

日本軍司令部の跡

雲仙普賢岳の噴火(1)

雲仙普賢岳の噴火(2)

マヨン山 地図

今度は、マヨン火山で人工爆発 (2009年12月16日追記)

フィリピンで最も美しい火山と言われるマヨン山で火山活動が激しくなった。12月15日には火口から溶岩の流出が観測された。フィリピン火山地震研究所は警戒を呼び掛け、既に周辺住民約2万6千人が避難した。

マヨン山は、地元では富士山よりも美しいといわれており、かつて日系人移民からは「ルソン富士」と呼ばれていた。日本は、海外の美しい火山を人工爆発により醜い火山に変える。そして言う、「美しい国日本」。

次項(桜島の噴火もまた人工爆発だった)へ


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2008/2/1   ##
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