私の妻の故郷は全羅北道です。韓国の中でも特に性格の激しい人が多く、キ
ムチもひときわ辛いようです。

 妻は学生時代にフェンシングをやり、全羅道の大会で優勝した経験もありま
す。性格はやはり全羅道の血を引いており、日本人女性にはちょっと無いタイ
プです。

 そんな彼女とする夫婦喧嘩には、想像を絶するものがあります。フェンシン
グの選手だっただけあって、的確にグサグサと急所に突き刺さる辛辣な言葉は
、容赦なくすさまじい勢いで無防備の私に襲い掛かってきます。私はいつも身
をかわすこともできず、布団の中に逃げ込むことだけを考えながら、何も言わ
ずに忍耐するのみです。(へたに反論をしようものなら、その数十倍の矢が私
のデリケートな胸に深く突き刺さることは目に見えていますから。)

 子供にもっと関心を持って。靴下はひっくり返して脱がないで。ほこりが立
つからもっと静かに歩いて。……妻の怒る理由はさまざまです。気に入らなけ
れば誰とでも喧嘩する。子供を感情的になってすぐひっぱたく。ビールが大好
きで大瓶2本や3本はあたりまえっ。どうしてこんな女と結婚する羽目になっ
たのか、自分の数奇な運命を怨むこともありました。

 しかし家庭を持って数年後のある日のことでした。妻は、いつものように同
じアパートに住む仲の良い韓国女性のところに長女を連れて遊びに行っていま
した。そこの家の男の子はちょっと目を離すと何をしているかわからない腕白
ざかりの3歳っ子でしたが、その日もちょっとの隙に外のコンクリートの階段
から転げ落ちて右のまぶたの上をざっくりと切ってしまったのです。母親は鮮
血に染まった我が子の顔を見て錯乱し、ただ声を出して泣き叫ぶだけだったそ
うです。

 やがて、その声を聞いて出てきた近所の人たちがすぐに車を手配してくれて
事無きを得たそうですが、妻からその話をそこまで聞いた時、私は思いました。
もしその場に私がいたらきっと冷静に応急処置をしながらすぐに救急車を呼ん
で誰よりも一生懸命に尽くしてあげただろうに。それにしても妻はいったい何
をしていたのだろう。

 さて、そのとき妻は何をしていたかというと、階段に座ってただおろおろと
泣く母親と抱き合って、いっしょに声を上げて泣いていたのだそうです。

 私は今まで偉そうなことはたくさん言ってきましたが、悩む者と共に悩み、
悲しむ者と共に悲しみ、喜ぶ者と共に心から喜んだは無かったように思います。
だから、こんなにすばらしい心を持った女性と結婚できたことに、喜びの涙
をおさえることができませんでした。

 妻(もちろん最愛の)と出会ってから、もう6年あまり。いつのまにか2児
の父親になってしまったわたしは、今日も布団の中で息を潜めながら、心ひそ
かに決意することがあります。
「子供たちには絶対にフェンシングは習わせない。」