和歌山のやきもの 楽炎会研修旅行 2011.10.19
瑞芝焼(ずいしやき)徳川家の御用窯
寛政8年(1796年)に岡崎屋阪上重次郎が創窯し、紀州藩第十代藩主、徳川治宝候(1789〜1824年)が徳川家の御用窯として緑色青磁を焼かせたことから始まります。残念ながら、場所が狭いため、十分な鑑賞が出来なかったのが残念。
瑞芝焼(ずいしやき)は和歌山県和歌山市で焼かれる陶器である。鈴丸焼・滅法谷(めっぽうたに)焼ともよばれる。「瑞(みずみずしい)芝」という銘が表すとおり、透明感のある青緑色が特色。中国龍泉窯の流れを汲む。寛政8年(1796年)に岡崎屋阪上重次郎が紀州藩の官許を受け和歌山市畑屋敷新道町(旧鈴丸町)藻屑川のほとりで開窯、享和元年(1801年)滅法谷に窯を移して滅法谷焼とも呼ばれた。享和元年(1801年)には紀州徳川家十代藩主徳川治寶に芝の緑色を表現した青磁を焼くように命じられ、京都の名工、青木目米(あおきもくべえ)の指導を受けながら大成した。「瑞芝」の銘は、緑の発色に満足した治寶が名づけたという。以後は藩の御用窯となり、男山焼や偕楽園焼と共に藩を代表する窯として発展を遂げた。窯場には黒の総漆に金の御紋が付いた藩主専用の御成門があったという。明治維新により藩の庇護(ひご)を失うと衰退し、1874年(明治7年)に三代目阪上重次郎の代に廃窯。だが五代目が美濃焼の梅平窯で修行し、地元に帰り1973年市内善明寺にて築窯、徳川時代の作品や北宋、南宋の釉薬を研究、研鑽し、復興に有り付け、現在に至る。
黒江散策(紀州漆器の町)
紀州漆器の起源については、天正年間(16世紀末)に根来(ねごろ)寺の僧がこの地に伝えた根来塗が起こりとする天正起源説があります。しかし、紀州漆器のはじまりとなる渋地椀(しぶじわん)と根来塗との製造技法は異なっており、また、黒江塗に関する最古の文献(江戸時代初期)『毛吹草(けふきぐさ)』のなかでも黒江塗と根来塗とは別のものとして記されています。これらのことから紀州漆器の起源は黒江の村里で行われていた渋地椀づくりとされており、黒江の渋地椀づくりは、近江系木地師によって各地に庶民漆器づくりが発生する戦国末期には始まっていたといわれています。


黒潮市場での昼食 楽しいひと時
うるわし館(うるし陳列館) 紀州漆器のまち散策マップの前で 黒江散策
金比羅 江戸時代の町黒塀
江戸時代の町黒塀酒蔵 中言神社「黒牛の水」が湧き夫婦の神様を祭る
中言神社への道 中言神社
高級日本酒に舌鼓!? 同左 100年前の家
漆器店 夕闇迫る車窓から