◆駆逐艦 DD537 ザ・サリバンズ(REVELL 1/301)

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フレッチャー級は第二次世界大戦中にアメリカ海軍で175隻も建造された駆逐艦シリーズだ。DD445のフレッチャーがネームシップ。今回紹介する「ザ・サリバンズ」はDD537。なぜ、名前に「ザ」が付いてしかも複数形なのか、不思議に思ったのだが、インストの解説を読んで疑問は解けた。兄弟を示す「ザ」なのだった。この艦船の誕生には悲しい物語が秘められている。インストにドラマティックなストーリーが記述されているので簡単に紹介しよう。1942年11月、のちに激戦で有名なガダルカナル島の近くで、第三次ソロモン海戦(アメリカ側の名称はサボ島の戦い)に、サリバン家の5人の兄弟達の乗った軽巡洋艦ジュノーが参加。しかし、日本軍の魚雷で艦は沈没、5人は艦とともに海に沈む。アメリカのアイオワ州ウォータールーには、両親と娘達が残された。この悲しい出来事は全米で大きな反響を呼び、それから、2ヵ月後、ルーズベルト大統領は、次の駆逐艦にサリバン兄弟と命名することを決め、1943年の4月には「駆逐艦サリバン兄弟」が誕生した。まるで、プライベート・ライアンのような物語だ。プライベート・ライアンが、このサリバン兄弟の実話を下敷きにして作られた映画だということにも始めて気づいた。武器のプラモデルが趣味にしていると、好戦的な戦争賛美主義者のように思われないかと不安になることがあるが、模型作りと平行して、模型化された実物の船、飛行機、戦車などが、どのような時代背景の中で生まれ、どのような物語を演じたのかといったことを自ず知ることになる。学校の通り一片の歴史の勉強などでは知ることができない、詳細な歴史の事実に触れることもあるように思う。日本人に生まれて日本人としての生活を続けていると、好むと好まざるとにかかわらず、日本人を中心に歴史を考えてしまうことになりがちだ、太平洋戦争でたくさんに日本人がなくなったことや、中国、朝鮮、東南アジアの人々に犠牲がでたことはよく問題提起されるが、アメリカ人にも多くの犠牲者が出たことは忘られれがちだ。そんなことを思った。

◆今回の制作方針

 船底に1962年とモールドされていたが、REVELLの歴史資料本によると、「ザ・サリバンズ」の初版は、1954年のようだ。1962というのは再販時のモールドだろう。この時代のプラモデルは、精密さ・考証の正確さは現代のキットに比べようもないが、プラモデル黎明期のものづくりの情熱というか、挑戦精神というようなものが感じられる。下手にディテールアップなどせず、素組み作ることで、当時のプラモ設計者やモデラーの気持ちを感じながら作ってみたかった。いつものことですから、こんなに力んで書かなくてもいいんだけど。

 

◆製作手順

 1、古い模型はとにかく、バリやパーティングラインを削るのに骨が折れる。とはいえこのキットには意外に押し出しピンの跡が少なかった。1950年代、60年代のレベルの船のキットの中には、悪意としか思えないほどに、完成後に表に出る側に山ほど押し出しピンの跡があるものがある。しかし、それらに比べてこのザ・サリバンズやミズーリ、ホーネットなどには、押し出しピンのあとが少ない。発売の時期に違いはないはずなのにどうしてだろう。複数の設計チームがあったという話もきくのだが。

2、甲板には、船首と船尾の両方に手すりが板状で再現されている。これをカットして、真鍮線などで手すりを再現する手もあるが、それでは、設計者がせっかく作った手すりがもったいない。ブリッジの各部の手すりも板状に再現されている。あまりにも厚い部分は「ウスウス攻撃」を行った。

3、甲板上の構造物を整形。5インチ砲塔の砲身と砲塔の境界にあるキャンバスのカバーをエポキシパテで再現した。甲板と水平になる部分をエアブラシを使って、青味がかったダークグレーで塗装。垂直になる部分や甲板上の突起物を明るめのグレーで塗装救命ボートなどをタンで塗装。

4、エアブラシで船体の下部を暗い赤、吃水線を黒で塗装したあとで、塗装済みの甲板を船体に接着。船体は中央が湾曲しているのに、甲板はほとんどまっすぐなので、充分に接着剤をつけて乾くまでゴムバンドでしっかり押さえた。合いが悪いので、組み立て前には、仮組みを充分にやって合わせられるようにする必要がある。甲板の前後や船体の前後を、接着する前に少々削るらなければならなかった。

5、船体の上部を明るいグレーで塗装。甲板の手すりの部分や、キャビンの手すりの部分を、マスキングして塗り分けた。

6、塗装の終わった甲板上の上部構造を甲板に接着。

7、次にアンテナ線や、ライトの透明クリア(いつものHアイズ)をつけた。0.3mmの真鍮線で張り線を行ったが、ちょっと太すぎたかもしれない。0.2mmくらいがちょうどいいかも。

8、最後にデカール張り。なんとキットにはデカールが入っていなかった。どこで失われたのかわからないが、古いキットなのでしかたがない。他のキットから流用。実際より小さく、黒いふちもないが、まあ、小さいほうが船が大きく見えるかなと納得。船尾の星条旗の竿の部品もなぜか用意されていなかった(これはもともと部品にないようだ)ので、真鍮線で自作。旗はやはりこれも同じ他キットから流用。

◆総括

 細部のモールドの大雑把なところなどは時代を感じさせるキットではあったが、こうして完成してみると、迫力や存在感は充分だ。なにより、最近のキットとちがって、たくさんの人たちが作らないから、新鮮だ(笑)。アメリカ海軍の艦船を紹介するサイトで、1962年のザ・サリバンズの写真を発見。ちょうどこの製品の同じような装備に思えた。もちろん、詳しいことはわからない。「サリバン兄弟」は1943年にから1977年まで現役であった。TAMIYAから1996年に、フレッチャー艦のネームシップであるDD445フレッチャーのキットが発売されている。これは1943年当時の状態を再現しているので、作り比べが楽しみだ。

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複数アングル

外観。こんな駆逐艦です。第二次大戦後の状態を再現してあるようです。 あれ、写真がぼけちゃったぞ〜。アンテナ? レーダー? がハエタタキみたい。

右舷側。 左舷側。

駆逐艦はスマートな船体です。とはいえ、これでも全長が120メートルくらいあるんです。船首から船尾まで走ったら、カールルイスでも10秒では走れません。やはりでかい。 5インチ砲を5門も積んでいます。5インチというと128mm砲ですから、ヤクトティガーと同じ。駆逐艦は

船首には青い旗。インストの指定なんですが、何の印なんでしょう。 ほとんどの写真を撮ったあとで、星条旗をつけるのを忘れたのに気がつきました。船尾には爆雷が積まれています。潜水艦の天敵たるゆえん。

艦の中枢部。ブリッジと煙突。張り線は0.3mm真鍮線、ちょっと太目かな。 仮組みをはじめたところ。1962年刻印のある古いキットなので部品の修正がたいへん。

甲板の部品はまっすぐなんですが、船体は緩やかに曲がってます。ギュッと押さえてゴムバンドで留めて接着ですね。 甲板上の塗装が終了。まだ仮組み状態です。

部品はたった67個。しかも使用しない部品が4つあったから、実際は63個だ。同じくらいの縮尺のTAMIYAの350分の1フレッチャーのキットの部品数を数えたら190個、多少不使用部品があるとしても、およそ3倍の部品数だ。これだけの部品で再現するんだからある意味で昔の技術はすごいともいえるのでは。 作例をパッケージにするなら、もうちょっと上手な完成品にすればいいのに。勲章はいいんだけど、これでは、あんまり売れない?


フレッチャー艦のスタンダードキットとしてはこれがおすすめ。

700分の1ならこれがおすすめ。

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