鬼ノ城(岡山県)
Since 2007/01/22



 「きのじょう」と読みます。岡山県総社市にある古代の山城です。すり鉢を伏せたような形の鬼城山(標高397m)の山頂から8〜9合目にかけて鉢巻き状に城壁や角楼、水門、城門などが配置され、それらを全周2.8kmの通路がつないでいます。

 国指定史跡(1986年指定)で、知名度上昇中ですが、私が訪れたのは2006年暮れの12月28日。北風が冷たく、時おり小雪が舞うあいにくの天候だったこともあり、人影はごくわずかでした。御用納めの日にもかかわらず、西門の周辺では復元工事が続けられていました。

アクセス

 岡山自動車道の岡山総社インターから、北西約3kmの山すそにある砂川公園をめざします。同公園の園内道路を通り抜けて山奥へどんどん進むと、展示物やトイレのある案内所と20台ぐらい収容できる駐車場が現れます。そこが入り口(登城口?)です。砂川公園から奥の道は舗装されていますが細いので、バスなどの大型車は通行不可です。

歴史

 1300年以上前に造られたもののようです。築城者については、総社市が城内の「屏風折の石垣」に設置している掲示板では次のようになっています。

 「千数百年前、温羅(うら)と呼ばれる一族が朝鮮より渡来し居住したといわれており、付近の城塁は、当時のなごりだともいわれております。また鬼ノ城一帯は、平安時代に新山、岩屋とともに、山上仏教が栄え、大規模な伽藍(がらん)が多数立ちならび、西方教化の中心地であったといわれています。」

 「桃太郎の鬼退治」伝説は、吉備中山(岡山市)に在った吉備津彦命(きびつひこのみこと)が温羅(うら)を滅ぼした物語だと考える人もあるようです。

 一方、登山口に置いてあった無料パンフレットには次のように書いてあります。

 「かつて、朝鮮半島に進出していた大和政権は天智2(663)年、朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)の海戦で唐・新羅連合軍に大敗しました。敵軍の進攻に備えるため西日本の要所には大野城をはじめとする朝鮮式山城を築城したことが『日本書紀』天智4〜6(665〜667)年の条に記されています。一方、記録にはありませんが朝鮮式山城と同種遺跡と考えられている古代山城が16城あり、鬼ノ城もその一つと考えられています。」

 温羅(うら)を滅ぼした大和朝廷が、国土防衛用に鬼ノ城を再利用したということかもしれません。

 ふもとを流れる川が血吸川≠ニいうのも、いわくありげです。

見どころ

 角楼や土塁、石垣のほかに、城門4カ所、水門6カ所、礎石建物群などがあります。中でも屏風折の石垣と復元された西門が特に有名です。屏風折≠ニは、矩形ではなく、鋭角に突き出た形に築かれていることを指しています。屏風折の石垣からは吉備平野を一望することが出来ます。

写真 

(写真はクリックすると大きくなります。)

屏風折れの石垣・遠景(南から)

屏風折の石垣・近景(南から)

屏風折の石垣(北面最上層)

屏風折の石垣から見た吉備平野

吉備津彦神社のある吉備中山や高松最上稲荷も
見えます。

屏風折の石垣の上に立てられている掲示板

発掘された南門跡

復元された西門

シルクロードの城郭みたいです。

西門付近の通路

敷石で舗装されており、万里の長城を連想しました。
遠景は吉備平野です。


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