「四角い円」実在するか
◇チョコと魚の寓話に学ぶ  

「ぼくは さかな…」  その魚は一人称で語りはじめます。
「みずのなかを ゆらゆら すいすい。まいにち まいにち ゆらゆら すいすい。
せせらぎに みを まかせ… どこに いこうと ぼくの じゆう。  
つりばりに きを つけてあみを くぐりぬけてさえ いれば 
さかなって いうものは なかなかいいものだ…と ぼくは おもっていた」  

ところが、ある日、少年が落とした茶色の小さなカケラをパクッと食べたときから彼の生涯は一変します。  彼は語り続けます。

 「そのときから…ぼくは さかなで いることが つらくなったんだ。
ちゃいろの カケラは それほど おいしくて ぼくを うちょうてん にさせた。
ひるも よるも…どこにいても…そのあじが わすれられなかった」  

そうして、お魚くんは、長い長い間、その小さなカケラを待ち続けますが、それを口にするチャンスはめぐってきませんでした。夏が5回過ぎ、6回目の冬が来るころ、死んでしまいます。

 「それから……どれくらい ときが すぎたのだろう。
きがつくと ぼくは 少年だった。チョコレートの すきな 少年だった。
あるひ そのカケラがひとつ ぽろりと みずに おちたけれど 
その カケラをたべた さかなが いたなんて ぼくは ちっとも しらなかった」  

これは、宮崎博和という人が書いた「チョコレートをたべたさかな」という絵本からの抜粋です。哲学や物理学などの授業でも使えそうな、とても奥深い内容のお話です。実際、私自身、この話から宇宙論の講義を始めた経験が何度もあります。  さて、現代人の寓話(ぐうわ)ともとれるこの話は、自己と他者の関係を考えるのに、実に深い示唆を与えてくれます。人のせいだと思っていたことが、実は原因は自分にあったという反省、あるいは、人のために、ということが、結局、自分のために……という形で戻ってきたり、一方では、自分では知らないうちに他者に影響を与えてしまっていることの怖さ、さらに想像をたくましくすれば、限りない欲望のコントロールをするためのヒントや人間関係など、昨今の環境問題を含めて、すべてを人のせいにしたがる世情への警告ともとれる内容です。  これまでの連載を通して、立場によって、物事のあり様が異なること、善、悪の判断でさえも逆転することが世の常であるなどとお話ししてきました。それらを矛盾としてではなく、真実の両面であると考える寛容さが必要だともお話ししてきました。西洋の合理主義の立場からいえば、「四角い円」は実在しません。しかし、それを「四角い円は存在しえないものとして実在する」と言い換えたらどうでしょうか。少しばかりニュアンスが違ってきますね。  東洋独特の多元論的見方です。実は、物事の存在を確かめるためには、それに対しての働きかけが必要です。ところが、その働きかけが相手の状態を変えてしまうことがあります。認識の難しさは、見る側と見られる側との共同作業だという点にあります。  
そこでうかがいますが、あなたにとってのチョコレートは何でしたか?

◇佐治晴夫博士のプロフィル  
理学博士。鈴鹿短期大学学長。東京生まれ。東京大学物性研究所、玉川大学教授などを経て04年から現職。量子論的無の“ゆらぎ”からの宇宙創生理論のほか、NASAのボイジャー計画やE.T.(地球外知的生命)探査にもかかわっている。また、パイプオルガン演奏で始める宇宙論講義や天文台で“真昼の星”を見せるなど文系・理系の枠を超えた教育の実践でも知られる。「宇宙の不思議」「宇宙はすべてを教えてくれる」「夢みる科学」「からだは星からできている」など著書多数。

〔三重版〕 毎日新聞 2008年9月3日 地方版

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